生命倫理学・医療倫理学

生命倫理学・医療倫理学 · 13

患者の権利

The Rights of Patients

🧠 全体像:患者の権利は「人間としての権利(人権)」と「病者としての特別な権利」のでできている。なぜ特別な権利が必要かというと、病気そのものが患者を弱い立場に置くからである——不安と恐れを抱え、専門知識で劣り、官僚化した組織の中で「症例」に還元されやすい。患者関係のは、この非対称をどう扱うかの選択肢であり、欧州患者権利憲章はそれを14の具体的な権利に落とし込んだものである。

患者の権利は国によって異なる

  • 患者の権利は国によって異なり、しばしばその社会に行き渡っている規範に依存する。
  • 患者関係についてはさまざまなモデルが展開されてきた。
  • 欧州と北米では、現在も患者関係を描く複数のモデルが存在する。1

医師患者関係のモデル(Emanuel & Emanuel)

⚠️ 重要な注意:このモデル論を3つ(パターナリズム型・情報提供型・「」)として紹介する資料があるが、原典は4モデルである。Emanuel夫妻の1992年の論文の題名そのものが「Four Models of the Physician-Patient Relationship(患者関係の4つのモデル)」であり、パターナリズム型・情報提供型・・の4つが提示されている。1 「協働型」という呼称の説明内容は原典の解釈型にほぼ対応し、自律の捉え方の部分に熟議型の要素が混ざっている。原典に沿って4モデルで理解しておくのが確実である。

モデル の役割 患者の自律の捉え方
パターナリズム型(paternalistic) 何が最善かをが決める(後見人・保護者) ——の決定に患者が承諾すること
情報提供型(informative/消費者型) 事実の提供者・技術。患者は「顧客」でもある 医療上の意思決定に対する患者の
解釈型(interpretive) 助言者・カウンセラー。患者自身も明確にしていない価値を明らかにする手助けをする
熟議型(deliberative) 教師・友人。医学的な事実に加え、価値についても患者と対話する 道徳的な自己発展(moral self-development)

パターナリズム型

  • 目標は、患者がその健康を最もよく増進する治療を受けられるようにすることである。
  • が何が最善かを決める。
  • 患者は、その時点では同意しなかったであろう決定についても、後になって感謝するだろうと想定される。
  • 患者の自律の概念はである。

情報提供型(消費者型)

  • は利用可能なすべての事実を提供する義務を負い、その上で患者の価値観がどの治療を行うかを決める。
  • 患者は「」でもある。
  • 自律の概念は、医療上の意思決定に対する患者の統制である。

解釈型(「協働型」と呼ばれることがある)

  • 患者のやりとりの目的は、患者が何を望んでいるかを明らかにし、その価値を実現する利用可能な医学的介入を患者が選ぶのを助けることである。
  • はパートナーでありカウンセラーであり、患者の自律の概念は自己理解である。

💡 情報提供型と解釈型の違いが要点である。情報提供型では、患者は自分の価値観を既に確立して持っていると想定され、は事実だけを提供する。解釈型では、患者自身も自分の価値観を明確にしていないことがあると考え、それを言語化する手助けまでがの仕事になる。

⚠️ 3モデルの紹介で落ちるのはである。 ここではは教師あるいは友人として、医学的事実だけでなくどの価値がより望ましいかについても患者と対話する。自律は道徳的な自己発展として捉えられる。Emanuel夫妻自身は、平均的にはこの熟議型が望ましい患者関係であると論じており、1 著者が理想としたモデルこそが脱落していることになる。

なぜ患者の権利を宣言するのか

は特別な法分野であり、欧州の内外の多くの国で発展途上にある。その発展には複数の要因がある。

医学の進歩

  • 医学と技術の発展——身体への侵襲が増大し、身体的・精神的な統合性(integrity)に影響を与えるようになった。

人権思想

  • 「西洋」社会には強い人権の感覚があり、人権が患者の権利の基礎にある。
  • 現代の医療において、個人は容易に「」へと還元される。
  • 患者の立場は弱い——病気そのもののため、そして病気が生む不安と恐れのため。

💡 ここが患者の権利という考え方の核心である。契約の当事者として対等であれば、特別な権利を宣言する必要はない。病気であること自体が交渉力を奪う——痛みがあり、恐れがあり、知識がなく、選ぶ余地も乏しい。だからこそ通常の消費者的な保護では足りず、患者固有の権利が要る。

資源配分と社会的責任

  • 多くの国で、医療は社会の責任の下に置かれるようになった。
  • 医療費は国の資源への負担を増大させている。
  • 資源の公平な分配——社会正義と医療を受ける権利。
  • ミクロレベルの配分——患者の選定、リスト。

医療の官僚化

  • 医療の官僚化——現代の医療制度はで官僚的な組織である。
  • 非人格的で緊張の高い環境では、人間的な関係が損なわれやすい。

💡 患者は人間であり(→人権)、同時に病者である(→特別な患者の権利)。 この構造が、患者の権利という概念の骨格である。

患者の権利に対する反対論

反対論 内容
知識の欠如 ほとんどの患者は、情報に基づく決定を行うのに十分な医学的・科学的知識を持たない
自律の問題 広範な自律は、かえって患者にとって有害である
義務への着目 患者の権利ではなく、義務にこそ着目すべきである
防衛医療 権利の強調は防衛医療を招く(医療過誤を参照)

⚠️ これらの反対論は、真実告知で扱った「真実は伝えきれない」「真実は害になる」という反対論と同じ構造を持つ。知識の非対称は、情報を伝えない理由にはならず、伝え方を工夫する理由になる。また「広範な自律は有害」という主張は、インフォームド・コンセントで見たとおり、患者に不合理に見える決定をする権利まで含めて自律を認めるかという論点に帰着する。

💡 ただし「義務にも着目すべき」という指摘には一定の意味がある。権利だけを語ると、患者の側の責任(正確な情報を伝える、合意した治療計画に協力する、他の患者やスタッフを尊重するなど)が視野から外れる。関係は双方向である。

欧州患者権利憲章(2002年)

  • 2002年11月にローマで、Active Citizenship Networkが複数の諸国の市民団体との協働で起草した。2
  • 14の患者の権利を掲げ、基本権憲章第35条にいう「高い水準の人の健康の保護」を保障し、欧州の各国医療サービスが提供するサービスの高い質を確保することを目的とする。

⚠️ この憲章は市民団体が起草した文書であり、それ自体に法的拘束力はない。ただし基本権憲章第35条を参照枠とし、各国の患者権利法の参照基準・アドボカシーのとして広く用いられてきた。

14の権利

flowchart TD
    A["欧州患者権利憲章(2002年)<br>14の権利"] --> B["医療にたどり着く<br>①予防措置<br>②アクセス"]
    A --> C["自ら決める<br>③情報<br>④同意<br>⑤自由な選択"]
    A --> D["適切に扱われる<br>⑦患者の時間の尊重<br>⑧品質基準の遵守<br>⑨安全<br>⑩技術革新"]
    A --> E["個人として扱われる<br>⑥プライバシーと守秘<br>⑪不必要な苦痛と痛みの回避<br>⑫個別化された治療"]
    A --> F["救済を受ける<br>⑬苦情を申し立てる<br>⑭賠償を受ける"]

以下は憲章自身の番号順(①予防措置〜⑭賠償)に並べたものである。

権利 内容
予防措置を受ける権利 すべての個人は、疾病を予防するための適切なサービスを受ける権利を持つ
アクセスの権利 すべての個人は、自らの健康上の必要が求める医療サービスにアクセスする権利を持つ。医療サービスは、経済力・居住地・疾患の種類・受診の時期によって差別することなく、すべての人に平等なアクセスを保障しなければならない
情報を得る権利 すべての個人は、自らの健康状態、医療サービスとその利用方法、および科学研究と技術革新が利用可能にしたすべてのことについて、あらゆる情報にアクセスする権利を持つ
同意の権利 すべての個人は、自らの健康に関する決定に積極的に参加できるようにするすべての情報にアクセスする権利を持つ。この情報は、科学研究への参加を含め、あらゆる処置と治療の前提条件である
自由な選択の権利 すべての個人は、十分な情報に基づいて、異なる治療手技と提供者の中から自由に選ぶ権利を持つ
プライバシーと守秘の権利 すべての個人は、健康状態や診断的・処置に関する情報を含む個人情報の守秘、および・専門医受診・内科的の実施中のプライバシーの保護を受ける権利を持つ
患者の時間が尊重される権利 すべての個人は、迅速かつあらかじめ定められた期間内に必要な治療を受ける権利を持つ。この権利は治療の各段階に適用される
品質基準の遵守を求める権利 すべての個人は、明確な基準の特定と遵守に基づく高品質の医療サービスにアクセスする権利を持つ
安全の権利 すべての個人は、医療サービスの機能不全、医療過誤・誤りによる危害を免れる権利、および高い安全基準を満たす医療サービスと治療にアクセスする権利を持つ
技術革新を受ける権利 すべての個人は、国際的な基準に従い、経済的・財政的な考慮とは独立に、診断的処置を含む革新的な処置にアクセスする権利を持つ
不必要な苦痛と痛みを回避する権利 すべての個人は、疾病の各段階において、可能な限り苦痛と痛みを回避する権利を持つ
個別化された治療を受ける権利 すべての個人は、可能な限り自らの個人的な必要に合わせられた診断的・計画を受ける権利を持つ
苦情を申し立てる権利 すべての個人は、危害を被ったときにはいつでも苦情を申し立て、応答その他のフィードバックを受ける権利を持つ
賠償を受ける権利 すべての個人は、医療サービスの治療によって身体的または精神的・心理的な危害を被ったときはいつでも、合理的に短い期間内に十分な賠償を受ける権利を持つ

💡 14項目を1つずつ覚えるより、上のmermaidの5つの束(医療にたどり着く/自ら決める/適切に扱われる/個人として扱われる/救済を受ける)で捉える方が実用的である。

💡 「アクセスの権利」が挙げる差別禁止事由に疾患の種類が含まれている点に注意する。や精神疾患を理由に診療を制限することは、この憲章の下では差別にあたる。

EUにおける最近の動向

患者の権利という概念は、次の3段階で拡張してきた。

段階 内容
患者としての個人の権利(basic-individual) インフォームド・コンセント、プライバシー・守秘、へのアクセス、自らの健康と肢についての情報、手続的な権利(苦情・救済・参加)
患者になる権利(social) 医療へのアクセス、平等な取扱い、給付範囲・受給資格についての情報——保険の適用範囲、アクセス、受給資格の問題を扱う
「消費者」としての患者の権利(consumer-based) 安全かつ適時の治療、選択とセカンドオピニオン、提供者についての情報——情報・質・選択の問題により焦点を当てる

💡 この3段階は、NysとGoffinの分類に基づく。両者は、「患者としての」個人の権利と、給付範囲・アクセス・受給資格にかかわる「患者になる」ための集団的・な権利とを区別した。3 「患者としての権利」から「患者になる権利」への拡張が要点である。診察室の中の権利(同意・守秘)だけでは、そもそも医療にたどり着けない人を救えない——だからな権利(アクセス・平等)へ広がった。

EU加盟国の共通の方向

  • すべての加盟国が、自己決定と守秘に関する患者の権利(同意と情報の権利、プライバシー、記録へのアクセス)を定義し実施する法的なアプローチを発展させている。
  • これらの権利は、複数の個別の人権の枠組みに埋め込まれている。

発展を妨げる「つまずきの石」

  • 市民・専門職・政策立案者の間の感度の低さと知識の乏しさ。
  • いくつかの国でなお存続するパターナリズム型の患者関係。

消費者志向の権利

  • 消費者志向の権利は、医療分野における質と安全の確保への関心の高まりに触発された比較的新しい流れである。
  • 医療提供者を自由に選ぶ権利は患者の権利として次第に認められつつあるが、なおと現実によって制限されることが多い。
  • セカンドオピニオンを受ける権利——これを正式に認めている国は、わずかに過半数にとどまる。

権利侵害の実例

抽象的な権利論を、具体的な侵害の形で捉え直しておく。以下は、患者の権利が現場で破られるときの典型的な形を、上に挙げた権利ごとに並べたものである。

プライバシーの権利の侵害

  • 患者の医療情報が、診療に関与していない者を含む病院の全職員に開かれている。
  • 患者が病気休暇を得るために、雇用主へ診断名の開示を強いられる。
  • 診察が公開の状況で行われる。
  • 医療機関の職員が患者の郵便をに開封し、通信を閲覧する。

⚠️ 最初の項目は、で扱った「必要最小限」の原則と、医学生を含むケアチーム外の者のアクセス制限に直接つながる。自分が実習で電子カルテを開くとき、この項目に該当していないかを考える。

情報の権利の侵害

  • 国が各種の医療サービスについての情報を提供しない。
  • 病院が患者満足度、臨床成績、リストについての情報を提供しない。
  • が患者の病状に関する事実を包括的に説明しない。
  • が肢と各処置の潜在的なリスクと便益についての情報を提供しない。
  • 患者が自らの診療録へのアクセスを拒まれる。

身体の統合性の権利の侵害

  • が処置の前に患者から同意を得ない、または情報に基づく決定を行うのに十分な情報を提供しない。
  • 非常に幼い患者やを欠く患者について、病院が代理決定者を認めない。
  • が治療についての患者の意思をする。
  • 患者がを変えることを認められない。

💡 これらの侵害の多くは、悪意ある行為ではなく制度の設計と日常の慣行から生じている。「全職員がカルテを見られる」のはアクセス権限の設計の問題であり、「診察が公開の状況で行われる」のは診察室の物理的な設計の問題である。権利の保障は、個々のの善意だけでは達成できない。

まとめ

  • 患者の権利は、人間としての権利(人権)と病者としての特別な権利のでできている。特別な権利が必要なのは、病気そのものが患者を弱い立場に置くからである。
  • Emanuel夫妻(1992年)が示したのは4モデルである——パターナリズム型(自律=同意)、情報提供型(自律=患者の統制)、解釈型(自律=自己理解)、熟議型(自律=道徳的な自己発展)。3モデルとして紹介されることがあるが、そのとき落ちるのは著者自身が望ましいとした熟議型である。
  • 権利の宣言が必要になった背景には、医学技術の進歩、人権思想、資源配分の問題、医療の官僚化がある。
  • 患者の権利への反対論(知識の欠如・広範な自律の害)は、真実告知への反対論と同型であり、非対称は情報を伝えない理由ではなく伝え方を工夫する理由である。ただし患者の義務という視点には一定の意味がある。
  • 欧州患者権利憲章(2002年)は14の権利を掲げる。法的拘束力はないが参照基準として機能する。1項目ずつ並べるより、医療にたどり着く/自ら決める/適切に扱われる/個人として扱われる/救済を受けるという束で捉える。
  • 権利概念は「患者としての権利」→「患者になる権利(アクセス・平等)」→「消費者としての権利(質・選択・セカンドオピニオン)」へ拡張してきた。発展を妨げる主要因は知識の乏しさと、なお残るパターナリズムである。
  • 権利侵害の多くは悪意ではなく制度設計と日常の慣行から生じる。権利の保障には個々の善意を超えた仕組みが要る。

出典

  1. 1.Four Models of the Physician-Patient Relationship(JAMA(著者 Ezekiel J. Emanuel, Linda L. Emanuel)・1992)医師患者関係の4モデル(パターナリズム型・情報提供型・解釈型・熟議型)と、それぞれにおける医師の役割および患者の自律の捉え方の違い閲覧 2026-08-17
  2. 2.European Charter of Patients' Rights(Active Citizenship Network(2002年11月、ローマ。EU諸国の市民団体との協働で起草)・2002)14の患者の権利の一覧と各権利の内容、およびEU基本権憲章第35条の「高い水準の人の健康の保護」を保障することを目的とすること閲覧 2026-08-17
  3. 3.Mapping national practices and strategies relating to patients' rights(Cross-border health care in the European Union: mapping and analysing practices and policies, Observatory Studies Series No. 22 所収)(European Observatory on Health Systems and Policies/WHO Regional Office for Europe(著者 Herman Nys, Tom Goffin)・2011)「患者としての」個人の権利と、給付範囲・アクセス・受給資格にかかわる「患者になる」ための集団的・社会的な権利を区別する枠組み閲覧 2026-08-17