生命倫理学・医療倫理学

生命倫理学・医療倫理学 · 12

医療過誤

Medical Malpractice

🧠 全体像:医療過誤責任は4つの要素をすべて満たさなければ成立しない——①、②水準の逸脱(breach/negligence)、③、④。どれか一つでも欠ければ責任は生じない。この4段構造が思考の軸になる。そして「水準」を誰が決めるかが最大の争点であり、英国法ではBolamテスト(の専門的慣行)→ Bolitho(裁判所が論理性を審査)→ Montgomery(リスク開示だけは患者基準)という重要な変遷がある。

医療過誤とは

とは、次の連鎖である。

  • 注意義務を負う医療専門職が、
  • 治療の提供において受け入れられた水準の技能・知識を行使することに失敗し(義務の不履行、dereliction of duty)、
  • すなわち医療提供者が合理的な注意水準(reasonable standard of care)を満たさず(作為または・不作為によって)、
  • その結果として患者に何らかの傷害・損失・損害が生じること。
flowchart TD
    A["① 注意義務<br>Duty of Care<br><span class='jp-term jp-term-diagram' title='medical doctor'>医師</span>患者関係が存在するか"] --> B["② 水準の逸脱<br>Breach / Negligence<br>合理的な注意水準を満たしたか"]
    B --> C["③ <span class='jp-term jp-term-diagram' title='bidirectional causal relationship'>因果関係</span><br>Causation<br>逸脱が傷害を引き起こしたか"]
    C --> D["④ 損害<br>Damages<br>賠償すべき損失があるか"]
    D --> E["医療過誤責任が成立"]
    A -->|"いずれか一つでも欠ければ"| F["責任は成立しない"]
    B -->|" "| F
    C -->|" "| F
    D -->|" "| F

💡 「悪い結果が生じた」ことは過誤の証明にならない。医学には本来的な不確実性があるため、適切な診療をしても悪い結果は生じうる。過誤責任が問われるのは、上の4要素がすべてそろった場合に限られる。

① 注意義務(Duty of Care)

患者関係が存在することを示す必要がある。この関係を示すには、原告が次を証明しなければならない。

  • 原告が——明示的または黙示的に——に専門的な援助を求めたこと、そして
  • が——明示的または黙示的に——その患者を治療することに同意したこと。

この関係の成立には、次は必要でない。

  • 患者とが対面で会うこと。
  • 正式な契約が取り交わされること。

患者関係は、が患者の最善の利益のために行動していることを示す証拠がある場合に存在する(診察する、診断する、治療する、またはそうすることに同意する、など)。

💡 この点は現代的な含意を持つ。対面も契約も不要であるということは、電話・オンライン相談・での助言でも注意義務が生じうることを意味する。「正式な診察ではなかった」という理由だけでは、注意義務を否定できない。一方、診療関係の開始と終了で扱ったとおり、には診療を引き受けるかどうかの裁量がある——注意義務は関係の成立とともに発生する。

② 注意水準とその逸脱(Standard of Care and Breach)

基本の枠組み——Bolamテスト

  • 注意水準は、専門的な医学的慣行(professional medical custom)によって定義される。
  • の誤りは、他の有能なが同じ状況をどう扱ったかと比較される。
  • 同じ事実を知る別の合理的なが同じ誤りを犯さなかったであろうなら、そのは医療過誤の責任を負う。

💡 この基準は判例名を挙げずに説明されることが多いが、英国法におけるBolamテストとして知られる法理である。Bolam v Friern Hospital Management Committee([1957] 1 WLR 582、Queen’s Bench Division、McNair裁判官)で、は「責任ある医学的意見のに従って行動していれば」を問われないとされた。1

専門性の水準

  • 法域は通常、が同等のの技能を示すことを要求し、一般医(GP)の水準では足りないとする。
  • 医学の証人が、審理の対象となっている状況で同程度の技能を持つが典型的に何をするかを法廷で説明する。
  • これによって、そのが合理的に慎重な専門医に期待される注意・技能・知識の程度を行使することに失敗したかが判断される。

💡 つまり専門医は専門医の水準で、GPはGPの水準で判断される。研修医が専門医と同じ水準を要求されるかは法域によるが、「まだ研修中だから」が無条件の免責にならない点は共通している。

専門家証人——「盾であり剣である」

証人は、審理対象のの行為がであったかを法廷に伝える証言を行う。

⚠️ これは「盾であり剣である(A shield and a sword)」。

盾として 剣として
医学的な意思決定をの判断から保護する 被告をより厳格な同僚審査(peer review)にさらすことにもなる

💡 の行為を「の基準」で判断することは、法律家や陪審の素人判断からを守る。しかし同時に、同業者からの厳しい評価を招く刃にもなる——「同じ専門医であれば、その処置は選ばなかった」と同僚が証言すれば、それが決定的になる。

後知恵の禁止

  • は事故当時の知識水準に基づいて判断されるべきである。
  • (および裁判所)は後知恵で判断してはならない(must not act in hindsight)——の決定は、そのの目の前にあった医学的証拠に基づいて評価されなければならない。

Bolitho——裁判所による論理性の審査

  • ただし、裁判官は、する見解を支える証拠を注意深く精査し、それらが論理的な基礎(a logical basis)を持つかを判断しなければならない。

💡 この「しかし(But)」の部分が指しているのは、英国貴族院のBolitho v City and Hackney Health Authority(1997年11月13日判決、[1998] AC 232)である。2 Browne-Wilkinson裁判官は、裁判所は、依拠される医学的意見の唱道者がその意見が論理的な基礎を持つことを示しうることを確認しなければならないとした。論理的分析に耐えられない professional opinion は、裁判所によって退けられうる。

⚠️ この2つの判例の関係を取り違えないこと。

Bolam(1957年) Bolitho(1997年)
判断の主体 医学界(責任ある医学的意見の一団) 医学界+裁判所による論理性の審査
帰結 一団の医学的意見に沿っていればなし 沿っていても、その意見が論理的に擁護できなければ退けられうる
適用の頻度 原則 Browne-Wilkinson裁判官自身が「稀な場合(a rare case)」と述べており、裁判所が医学的合意を覆す敷居は非常に高いまま

💡 Bolitho は Bolam を廃止したのではなく、を加えたものである。への敬譲は保たれつつ、「慣行だから正しい」で終わらせず、その慣行が理由づけとして成り立つかを裁判所が確かめる余地を残した。

⚠️ リスクの開示だけは別の基準——Montgomery

⚠️ 注意水準の説明をBolam・Bolithoで終えている資料は多いが、それでは重要な現代的展開が抜け落ちる。英国最高裁判所はMontgomery v Lanarkshire Health Board([2015] UKSC 11、2015年3月11日判決)で、患者へのリスクの開示についてはBolamテストを適用すべきでないと全員一致で判示した。3

  • は、提案する治療における「重要なリスク(material risks)」を患者が認識できるよう、合理的な注意を払わなければならない。
  • 重要性の判断基準は「合理的な」ではなく「合理的な患者」に移った——当該事案の状況において、患者の立場にある合理的な人がそのリスクに重要性を認めるであろうか、あるいはがその特定の患者が重要性を認めると合理的に認識すべきであったか。

事案では、糖尿病があり小柄なMontgomery夫人が経腟分娩を勧められたが、担当医はの9〜10%というリスクを伝えなかった。合併症は現実に生じ、児が傷害を負った。夫人は、そのリスクと帝王切開という選択肢を伝えられていれば後者を選んだと主張し、最高裁はその主張に信用性を認めた。3

💡 押さえるべき構造:治療の技術的な当否はBolam+Bolithoで判断される(の基準)が、何を説明すべきかはMontgomeryで判断される(患者の基準)。この区別はインフォームド・コンセントで扱った「合理的人間基準(基準)」への移行そのものであり、Montgomeryは英国法がその立場を採用した判例である。

③ 因果関係(Causation)

  • の注意水準の逸脱と、患者が被った傷害との間にがなければならない(近因、proximate causation)。
  • とは、傷害と十分に関連しているために裁判所がその事象を当該傷害の原因とみなす事象である——傷害が行為の予見可能な帰結(foreseeable consequence)であること。

「but for」テスト

  • の基本的な判定基準は「but for(〜がなかったならば)」テストである。
  • 問題となっている傷害は、被告のがなかったならば生じなかったはずである。
  • 明白な場合——例:外科医が病変のある腎ではなく健常な腎を摘出した。
  • 証明が難しい場合もある。

💡 は実務上、原告にとって最大の壁になることが多い。医療過誤訴訟では、「にがあった」ことと「そのが結果を招いた」ことを分けて考える必要がある。既に重篤な疾患があった患者では、「適切に治療していれば救えた」と証明することが極めて困難になりうる——があっても、そのがなくても同じ結果だったなら、「but for」テストを満たさない。

④ 損害(Damages)

  • 主たる目的は被告を罰することではなく、原告の損失を賠償することである。
  • 医療過誤の否定的な帰結に対する「公正かつ合理的(fair and reasonable)」な賠償。
  • 国によっては方式が用いられる。
  • は、原告を傷害前の状態へ回復させようとするものである。
  • 賠償的損害賠償はさらに財産的損害と非財産的損害に分けられる。

💡 「罰することではなく賠償すること」という位置づけは重要である。刑事責任や懲罰的損害賠償とは目的が異なる。

財産的損害(Pecuniary Damages)

  • 審理の日までに、被害の結果として生じた収入の喪失。
  • 稼働能力の喪失、昇進機会の減少、失われた付加給付。
  • 将来の損失——原告が将来被る費用と収入の喪失。
  • 追加的な医療費と諸費用。

非財産的損害(Non-Pecuniary Damages)

測定できない損失に対する賠償である。

  • 「痛みと苦しみ(pain and suffering)」。
  • 精神的苦痛——抑うつ、不安など。
  • 生活の質の毀損——事案によって長期的に生活の質が低下した場合。
  • 人間関係の毀損——家族・友人・同僚などとの関係が事案によって悪化した場合。
  • 身体的および/または精神的な能力の毀損。
  • 配偶者その他の近親者の死亡。

訴訟の影響

  • は苦情を自らの能力への挑戦と受け取りがちであり、それが職務満足度の低下や、抑うつにさえつながりうる。
  • 訴訟の存在が患者関係を損なうという指摘も多い——は、自分の発言がすべて訴訟につながることを恐れて情報を出し渋るようになりうる。

⚠️ 最後の点は真実告知と正直に伝える義務と正面から衝突する。訴訟への恐れが情報の抑制を招くのであれば、それは duty of candour(正直に伝える義務)の要求と逆行する。この緊張こそが、後述の無補償制度が提案される理由の一つである。

防衛医療(Defensive Medicine)

  • 必要でない治療が、訴訟の可能性を避けるためにによって行われる(積極的防衛医療)。
  • 法的措置を招くことを恐れて、治療が提供されない(消極的防衛医療)。
  • ⚠️ 注意:訴訟への恐れは、良い実務にもつながりうる——より良い記録の作成、丁寧な態度など。

💡 防衛医療は単純に「悪」ではない。同じ動機(訴訟を避けたい)が、不要な検査という害と、丁寧な記録・説明という益の両方を生む。問題は、患者の利益ではなくの保身が判断基準になるときである。「この検査は患者のためか、自分のためか」という問いが分かれ目になる。

無過失補償制度(The “No Fault Scheme”)

  • 医療の過程で生じた不首尾(mishap)によって被害を受けた患者に賠償が支払われる制度であり、
  • それがの結果であるか否かを問わない。
  • 医療を受けている間に「」を被った患者は、がなかったとしても賠償を受けるべきである、という考え方である。

賛成論

  • 簡明さ——専門職が注意義務に違反したことを証明する困難がない。
  • 法的手続のが生む敵意がない。
  • (不公正な)責任の割り当てがない。
  • 誤りを同定し、分析し、そこから学び、予防することに集中できる可能性。

反対論

  • 病気である人と、医療が何らかの形で「うまくいかなかった」結果として苦しんでいる人とを、どう区別するのか。
  • そうした制度は極めて高額になりうる(実際になっている)。
  • 制度がの低下につながりうる——加害者が同定されない。

💡 このの核心は、制度が何を目的とするかにある。訴訟制度は「誰が悪かったか」を確定して賠償と抑止を図る。無制度は「誰が困っているか」に注目して救済を図る。前者はとの立証という高い壁を作り、後者はその壁を取り払う代わりに、誰の行為が問題だったかを問わなくなる。患者救済と専門職の説明責任のどちらを優先するかという価値選択である。

⚠️ 無制度は理論上の構想ではなく、実際に運用されている国がある。ニュージーランドは、の立証を要しない事故補償制度(ACC)の枠組みで医療上の傷害を補償しており、代表例として挙げられる。制度の課題は、患者救済と医療者の説明責任・患者安全の確保をどう両立させるかにある。4 ただし対象範囲・給付水準・概念の扱いは国ごとに大きく異なるため、個別の国の制度を語るときはその国の法令を確認する必要がある。

まとめ

  • 医療過誤責任は①注意義務・②水準の逸脱・③・④損害の4要素すべてを要する。悪い結果が生じたこと自体は過誤の証明にならない。
  • 注意義務の成立には対面も契約も不要で、が患者の最善の利益のために行動している証拠があれば足りる(遠隔での助言にも及びうる)。
  • 注意水準は原則として専門的な医学的慣行によって定義される(Bolamテスト、1957年)。ただし裁判所は、依拠される医学的意見が論理的な基礎を持つかを審査できる(Bolitho、1997年)——ただし「稀な場合」に限られる。
  • リスクの開示についてはBolamは適用されない(Montgomery、2015年)。基準は「合理的な」から「合理的な患者」へ移り、患者の立場にある合理的な人が重要性を認めるリスクを伝える義務がある。治療の技術的当否は基準、説明の範囲は患者基準という切り分けを押さえる。
  • は事故当時の知識で判断され、後知恵での評価は禁じられる。証人はを素人の判断から守る「盾」であると同時に、厳格な同僚審査という「剣」でもある。
  • は「but for」テストで判定され、実務上は原告にとって最大の壁になりやすい。
  • 損害賠償の目的は処罰ではなく賠償であり、財産的損害(収入・稼働能力・医療費)と非財産的損害(痛みと苦しみ・精神的苦痛・生活の質)に分かれる。
  • 訴訟への恐れは防衛医療を生み、情報開示を抑制して正直に伝える義務と衝突しうる。無補償制度は患者救済を優先する代替案だが、費用と説明責任の低下という難点を抱える。

出典

  1. 1.Bolam v Friern Hospital Management Committee [1957] 1 WLR 582(Queen's Bench Division(英国。McNair裁判官)・1957)医師は、責任ある医学的意見の一団(a responsible body of medical opinion)に従って行動していれば過失を問われないという注意義務水準の基準(Bolamテスト)閲覧 2026-08-17
  2. 2.Bolitho v City and Hackney Health Authority [1998] AC 232(House of Lords(英国貴族院。1997年11月13日判決。Browne-Wilkinson裁判官)・1997)Bolamテストの限定——裁判所は、依拠される医学的意見が論理的な基礎(logical basis)を持つことを確認しなければならず、論理的分析に耐えない professional opinion は(稀な場合ではあるが)退けられうること閲覧 2026-08-17
  3. 3.Montgomery v Lanarkshire Health Board [2015] UKSC 11(UK Supreme Court(英国最高裁判所。2015年3月11日判決)・2015)リスクの開示に関してはBolamテストを適用すべきでないとし、「合理的な医師」ではなく「合理的な患者」を基準として、患者の立場にある合理的な人が重要性を認めるであろうリスク(material risks)を伝える義務を医師に課したこと閲覧 2026-08-17
  4. 4.No-Fault Compensation In New Zealand: Harmonizing Injury Compensation, Provider Accountability, And Patient Safety(Health Affairs(著者 Bismark M, Paterson R)・2006)ニュージーランドが過失の立証を要しない事故補償制度(ACC)で医療上の傷害を補償しており、患者救済と医療者の説明責任・患者安全をどう両立させるかが制度設計上の課題であること閲覧 2026-08-17