医療社会学

医療社会学 · 02

健康と病いの社会史と疫学転換

Health and Illness in Society: The Historical Transformation of Mortality Patterns

🧠 死亡率と疾病の型は生物学だけで決まらない。歴史を通じた疫学期の移行が、その最大の証拠になる。決定的な事実は「19世紀の感染症死亡の低下は、ワクチンも抗菌薬も無い時代に始まっていた」——つまり医学ではなくと生活水準が先に効いた。

用語

用語 定義
疾病と死亡のパターンを人口レベルで見る。誰が病んだ/死んだか、いつ、どこで、何によって
特定の地域や集団に恒常的に存在する感染症
ほぼ同時期に多くの人が感染する疾病の流行。より局在的
エピデミックが非常に広い地域あるいは世界に広がったもの。より広い範囲・より多くの感染者・より多くの死者。例:、1918〜1920年インフルエンザ(「スペイン風邪」。死亡数は約5000万人と推計され、1億人に達した可能性もある1)、COVID-19
死亡率・・疾病の種類がかなり一定である期間
歴史を通じた死亡率との根本的変化。ある疫学期から次へ移ること
ある時期・地域に生まれた人が統計的平均に基づいて生きると期待される年数。人口の健康度の指標。・小児死亡を含んで計算されるので、乳幼児が多く死ぬと、生き延びた成人が長生きしてもは非常に低くなる。成人が死ぬ平均年齢と混同しない
ある集団における(全体または特定死因の)死亡数を、集団規模と単位時間で調整した指標
GDP/ 国内で生産された総価値を人口で割ったもの。生活水準の指標とされる
社会・組織・地域・個人の組織的努力と情報に基づく選択を通じて、疾病を予防し、寿命を延ばし、健康を増進する科学と技術。医療の場の外で人々の健康のために働くこと

感染症の疫学的三角形(epidemiological triangle)

感染症は・宿主(host)・環境(environment)の相互作用の結果である。

要素 内容
疾病を生じさせるのに必要な病原体
病因と接触する人の免疫状態、行動、個人的・特性
発症と転帰に影響する外的な・物理的要因。この科目では「医学がその疾病に対処できるかどうか」も環境要因に含める

💡 マラリアで死ぬには、寄生虫を運ぶ蚊(病因)が存在せねばならず、それは環境に依存する。感染した人が死ぬかどうかは、十分な抵抗力があるかというにも依存する。要因は3頂点すべてに効く——病因の存在(衛生設備)、宿主の免疫状態()、環境(治療法の有無、環境の健康度)。

flowchart TD
  A["病因 agent<br>病原体の存在<br>← 衛生設備・上下水道"] --> D["感染症による死亡"]
  B["宿主 host<br>免疫状態・行動<br>← 栄養・生活水準"] --> D
  C["環境 environment<br>物理的・<span class='jp-term jp-term-diagram' title='social'>社会的</span>環境<br>← 住居・医学の到達度"] --> D
  E["社会経済的要因"] --> A
  E --> B
  E --> C

疫学期の枠組みとその成立

⚠️ 枠組みの出所と段階数を混同しない。

  • Omran の原著(1971)が提示したのは3段階——①疫病と飢饉の時代、②の時代、③変性疾患と人為的疾患の時代2
  • 第4段階「遅延変性疾患の時代」は Olshansky と Ault(1986)が追加したものであり、Omran の原著にはない3
  • 第5段階(新興・再興感染症)は提案であって確立した学説ではない。Olshansky らが1998年に「第5段階か?」という問いの形で提示した4
  • 狩猟採集期は先史時代であり、この枠組みでは疫学期の前に置かれる

0. 狩猟採集(先史時代、疫学期の前)

  • 農業も定住もない。部族は狩猟と採集のため移動
  • 感染症は多くなかった——移動するため糞便で環境を汚染せず、人口が小さく(全地球で数百万人規模と推定される)、集団が孤立していて互いに感染させなかった
  • 主な死因は事故・外傷と、自然のから身を守れないこと(良い住居・十分な衣類・良いがない)。も主要死因
  • は20〜30年台。現存する狩猟採集社会の横断的検討では出生時は21〜37年の幅にあり、一方で成人の死亡年齢の最頻値は68〜78歳である5。「20年」は乳幼児死亡の重みが生む数字であって、大人が20歳で死んでいたという意味ではない

1. 疫病と飢饉の時代(Age of Pestilence and Famine)

紀元前9000年ないし4000年 〜 19世紀中葉。非常に長いが一つの疫学期である。

  • 第一次農業革命(新石器時代)——狩猟採集から農耕と定住へ。より大きな人口が可能に。村・都市・農業・産業・交易・文明が始まる
  • 食料供給は安定したが、人口増加と集団間接触の増加で感染症の機会が増えた。定住により水と土壌を汚染しやすくなった。集落が大きいほど飲料水と土地を糞便や有害廃棄物で汚染する確率が高く、過密な都市が最も危険だった
  • 人口の大部分(子どもを含む)が過重労働で、極貧、過密で不衛生な環境。食事は健康な発育に不十分。都市の貧困層はさらに悪条件
  • ⚠️ 栄養は狩猟採集期より悪化した——生産した穀物中心のな食事で、多様な食材を含む狩猟採集期の食事に劣る。肉は富裕層の特権
  • 死因は主に飢饉と・チフス・・などの感染症の・エピデミック
  • 20〜40年(期間により変動)
  • 最大の殺し屋は——(1347〜1352年)ではヨーロッパ人口の5割前後が失われたと推計される6。6世紀のユスティニアヌスので地中海世界人口の4分の1から半分が死んだという通説は、近年強い批判を受けている——文献・貨幣・花粉・古代・埋葬考古学のいずれも死亡を独立に支持しないという再検討がある7。古代・中世の死亡率の数字は幅と不確実性を伴うものとして扱う
  • 出生率は高く、が蔓延
  • 中世ヨーロッパの医学は未発達で、・エピデミックを止める手段がなかった。医学が提供できるものがほとんど無かったため、人々は生涯の多くを発熱・皮膚疾患・感染創・疼痛に苦しんで過ごした

2. パンデミック後退の時代(Age of Receding Pandemics)

約1850年 〜 1945年。

  • 19世紀中葉までに、エピデミック・の位置を感染症のエンデミックが占めるようになった。感染症は依然として主要死因だが局在化した
  • 産業革命が起きていた国々(英・米・仏・独)で、結核・チフス・・・肺炎・下痢・といった感染症が19世紀中葉から後半にかけて減り始めた
  • が上昇し始め、より多くの子どもが成人まで生き延び、人口が増え始めた

転換の原因——医学より先に効いたもの

医学は19世紀の感染症死亡低下に役割を果たしていない。微生物・ワクチン・抗菌薬の発見は後だからである。どの主要感染症を見ても、医学が治療薬や予防ワクチンを持つ前に減少し始めている。もちろん20世紀からは医学がこれらの制御に大きな役割を果たした。

原因は2つに整理される。

(a) 改革による汚染の減少と衛生の改善

産業化は大量の人々を労働のため都市へ集めた。過密・不衛生で上下水道も清潔な水もない場所に住んだ。微生物については何も知られていなかったが、汚れた水・空気・環境が健康に悪いことは政策決定者に認識されていた。環境浄化、下水道建設、家主に配管を管理させること、精肉業者に安全な肉を売らせることといったの努力がなされた。

💡 Chadwick(1842)の引用:「世帯主の死亡の最大の割合は…除去可能な原因から生じているように思われる…公共排水、家屋への給水、あらゆる廃棄物の除去にかかる費用は…疾病と早世の費用を減らすがゆえに財政的利益となるであろう」8

(b) 生活水準と経済状況の改善による感染への獲得抵抗性の向上

この時期に一人当たりGDPが上昇し始めた。多くの人はまだ貧しかったが、以前よりは豊かで、より良い食事をとれた。より健康であることで感染に対する抵抗力が増した。より良い衛生条件と生活水準のおかげで、より多くの子どもが成人まで生き延びた。

💡 一次資料での位置づけ:この主張は McKeown テーゼとして知られる9。McKeown は死亡率低下の主因を栄養と生活水準の改善に求めた。ただし後の研究者は McKeown が栄養を重視しすぎたと批判し、上下水道整備などへの・的介入の役割がより大きいと論じている(Szreter)10。(a) と (b) を並記する整理は、この批判を踏まえた現代の理解と整合的である。

3. 変性疾患の時代(Age of Degenerative Diseases)

約1950〜1980年、多くの西側先進国で。(東欧はなお部分的に第3期にあるという議論もある)

  • 数千年を経て初めて、感染症が主要死因でなくなった。代わって変性・慢性疾患(がん、心血管疾患)が主要死因に
  • 先進国では、高い衛生水準・より良い栄養・医学の大きな発展により、感染症は主要死因でなくなった(低所得国では依然として重要)
  • これらの変性疾患は「」と呼ばれることがある——単一の病原体ではなく関連要因(喫煙、飲酒、食事、ストレス)と結びつくため。死亡においてはウイルスより生活様式と社会環境のほうが重要
  • は70代。は非常に低い

4. 遅延変性疾患の時代(Age of Delayed Degenerative Diseases)

1975年〜今日。第3期とほぼ同じだが、唯一の違いは変性疾患(とりわけ心血管疾患)の発症が人生のより遅い時期に始まること3。つまり病気・死亡の前に健康で過ごす年数が長い。

  • は80代前半
  • 最も先進的な国のみに特徴的
  • より健康増進的な生活様式と高い生活水準、そして医学による

4つの期の地理的併存

世界のには大きな幅があり、生活水準の巨大な差を反映する。第1・2・3・4期は今日すべて地球上に存在する。

疫学期 特徴 この枠組みが提示された当時の 地域
第1期: 栄養不良と感染症 約50年 サハラ以南アフリカ
第2期:エンデミック より良い栄養、の努力、より多くが慢性疾患で死ぬまで生存 50〜60年 南アジア、ラテンアメリカの一部
第3期:慢性疾患() 喫煙と飲酒の増加、不健康な食事。と相応の生活水準により感染症は慢性疾患より重要でない 60〜75年 東欧、ラテンアメリカの一部、インドの一部、中東
第4期:変性疾患の発症遅延 より健康な生活様式と社会条件。主要死因はがんと心血管疾患 75年超 高所得国

⚠️ この表のの数値を現在の値として読まないこと。数十年前の水準であり、その後どの地域でも上昇している。世界全体の出生時は2019年に約73歳で、COVID-19 により2021年に約71歳(2011年の水準)まで低下し、2023年に部分的に回復した11。段階と地域の対応づけは、順序を示す目安として扱う。

低所得国では感染症死亡が依然として大きい。で防げる感染症による小児死亡が今も残り、結核とマラリアの制御も達成されていない。/ はサハラ以南アフリカで主要死因の一つであり続けている。科学的医学の恩恵が貧しい国に届いていない。これらの地域の生活条件は、先進国の数百年前とよく似ている——衛生設備がなく、飲料水は汚染され、過密で不衛生、屋内外の煙害でな空気がない。はなお高く、多数が栄養不良で、医療は富裕層と特権層にしか利用できない。

第5の疫学期という提案

⚠️ これは提案であり、確立した学説ではない。Olshansky らは1998年に、新興・再興感染症を第5段階として位置づけうるかを問いの形で提示した4。根拠として挙げられるのは——

  • SARS・エボラ・ジカのような新しい病原体
  • 旧来の病原体がヒトの免疫を克服する変異
  • 種を越えたウイルス伝播(cross-species transmission)による新たな流行性疾患の出現

はこの議論をさせたが、第4期から第5期への「転換」が起きたとづけられているわけではない(→ と社会)。

まとめ

  • 疫学的三角形(病因・宿主・環境)——社会経済的要因は3頂点すべてに作用する。これが「感染症すらである」という論証の骨格。
  • 枠組みの出所:Omran の原著(1971)は3段階。第4期(遅延変性疾患)は Olshansky & Ault 1986 の追加。第5期は 1998年の提案で確立した学説ではない。
  • 4つの疫学期:①疫病と飢饉(〜19C中葉、20〜40、、で欧州人口の5割前後)→ ②(1850〜1945、エンデミック化)→ ③変性疾患(1950〜1980、がん・心血管、70代)→ ④遅延変性疾患(1975〜、80代前半、最も豊かな国のみ)。狩猟採集は期の前(出生時21〜37年、死因は事故と)。
  • 核心:19世紀の感染症死亡低下は医学の功績ではない——微生物・ワクチン・抗菌薬より前に始まっていた。原因は(a) 改革による汚染低減と(b) 生活水準向上による抵抗力の増加。20世紀からは医学も大きく寄与。
  • 農業革命は食料を安定させたが、過密・汚染・な食事により健康はむしろ悪化した(狩猟採集期より栄養が悪い)。
  • 今日、4つの期はすべて世界に併存する(低所得国=第1期 〜 高所得国=第4期)。ただし古いの数値を現在の値として使わない。は乳幼児死亡を含むので成人の死亡年齢と混同しない。

出典

  1. 1.Updating the Accounts: Global Mortality of the 1918-1920 "Spanish" Influenza Pandemic(Bulletin of the History of Medicine(著者 Niall P. A. S. Johnson, Juergen Mueller)・2002)1918〜1920年インフルエンザパンデミックの世界死亡数を約5000万人と推計し、実際には1億人に達した可能性もあるとしたこと閲覧 2026-08-17
  2. 2.The epidemiologic transition: a theory of the epidemiology of population change(Milbank Memorial Fund Quarterly(著者 Abdel R. Omran。1971年の原著、2005年に Milbank Quarterly へ再録)・1971)疫学転換理論——疫病と飢饉の時代、パンデミック後退の時代、変性疾患と人為的疾患の時代という3段階の移行閲覧 2026-08-17
  3. 3.The fourth stage of the epidemiologic transition: the age of delayed degenerative diseases(Milbank Quarterly(著者 S. Jay Olshansky, A. Brian Ault)・1986)変性疾患の発症年齢が後ろ倒しになる第4段階「遅延変性疾患の時代」を疫学転換理論に追加したこと閲覧 2026-08-17
  4. 4.Emerging infectious diseases: the Fifth stage of the epidemiologic transition?(World Health Statistics Quarterly(著者 S. Jay Olshansky, Bruce A. Carnes, Richard G. Rogers, Len Smith)・1998)新興・再興感染症を第5段階として位置づけうるという提案。抗菌薬耐性、新しい病原体、感染症制御の緩みによる再興を根拠とするが、確立した学説ではなく問いの形で提示されたこと閲覧 2026-08-17
  5. 5.Longevity Among Hunter-Gatherers: A Cross-Cultural Examination(Population and Development Review(著者 Michael Gurven, Hillard Kaplan)・2007)狩猟採集社会の出生時平均余命は21〜37年の範囲にあり、45歳到達者の割合は26〜43%、成人の死亡年齢の最頻値は68〜78歳であること閲覧 2026-08-17
  6. 6.Plague and Lethal Epidemics in the Pre-Industrial World(The Journal of Economic History(著者 Guido Alfani, Tommy E. Murphy)・2017)黒死病(1347〜1352年)がヨーロッパ人口の5割前後を失わせたとする推計と、前近代の致死的疫病の被害規模の整理閲覧 2026-08-17
  7. 7.The Justinianic Plague: An inconsequential pandemic?(PNAS(著者 Lee Mordechai, Merle Eisenberg, Timothy P. Newfield ら)・2019)6世紀ユスティニアヌスのペストが地中海世界人口の4分の1から半分を失わせたという通説を、文献・貨幣・花粉・古代DNA・埋葬考古学の各データが支持しないとする批判閲覧 2026-08-17
  8. 8.Report on the Sanitary Condition of the Labouring Population of Great Britain(Poor Law Commission(著者 Edwin Chadwick)・1842)労働者の死亡の大部分が「除去可能な原因」によること、公共排水・給水・廃棄物除去への支出が疾病と早世の費用を減らす財政的利益になるという主張閲覧 2026-08-17
  9. 9.The Modern Rise of Population / The Role of Medicine: Dream, Mirage or Nemesis?(Edward Arnold / Nuffield Provincial Hospitals Trust(著者 Thomas McKeown)・1976)19世紀以降の感染症死亡率の低下は、医学的介入(ワクチン・抗菌薬)より前に始まっており、主として栄養と生活水準の改善および公衆衛生によるという主張(McKeown テーゼ)閲覧 2026-08-17
  10. 10.The importance of social intervention in Britain's mortality decline c. 1850–1914: a re-interpretation of the role of public health(Social History of Medicine(著者 Simon Szreter)・1988)McKeown が栄養を重視しすぎたとする批判——英国の死亡率低下では公衆衛生への社会的・政治的介入(上下水道整備など)の役割がより大きいこと閲覧 2026-08-17
  11. 11.World health statistics 2026: monitoring health for the SDGs(World Health Organization・2026)世界の出生時平均余命は2021年に71歳(2011年の水準)まで低下し、2023年に部分的に回復したこと。COVID-19 に関連する超過死亡は2020〜2023年で約2210万人と推計されること閲覧 2026-08-17