医療社会学

医療社会学 · 06

デジタルヘルスの課題

The Challenges of Digital Health

🧠 デジタルヘルスは技術の話ではなく「文化的変容」である。定義の核心は、データがと患者の双方に開かれることで、患者関係が対等になり、ケアが民主化されること。だから象徴的な転換は「象牙の塔 → ソーシャルメディア」「権威としての → 案内人としての」。

中核概念

デジタルヘルス(digital health)

定義:「デジタルでなデータを医療者と患者の双方に利用可能にする破壊的技術が、対等な水準の患者関係と、と、ケアの民主化へと導く、その文化的変容」1。

技術革新が医療と不可分になり、多くの国の医療制度が財政的圧力に直面する中で、パラダイム転換が要請されている。

伝統的医療と近代医療の対比

この対比表が、デジタルヘルスの主張の中身を最も簡潔に示す1。

ケアの場は診療所や検査室 ケアの場は患者
集団に基づく 個人に基づく
パートナーシップ
処方と指示
データは施設が所有 データは患者が所有し共有する
個人の経験が支配する なデータ解析
権威としての 案内人としての
象牙の ソーシャルメディア

⚠️ この表は規範的な対比であって、達成された現実の記述ではない。右列は目標として提示されたものであり、実際にどこまで実現しているかは制度・国・診療科によって大きく異なる。

flowchart TD
  A["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='Traditional'>伝統的</span>医療<br>階層・権威・象牙の塔<br>データは施設のもの"] --> B["デジタルヘルス<br>=文化的変容"]
  B --> C["近代医療<br>パートナーシップ・案内人<br>データは患者のもの"]
  B --> D["対等な<span class='jp-term jp-term-diagram' title='medical doctor'>医師</span>患者関係"]
  B --> E["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='shared decision-making'>共有意思決定</span>"]
  B --> F["ケアの民主化"]

e-patients(e患者)

自分の病態の領域で並外れた専門性をもち、診断と治療の過程に能動的に参加する患者。自らの回復に献身的で投資的であり、よく情報を得ており、患者関係における対等性を求める。同様の病態をもつ人々のコミュニティを意識的に活用する。

の診断を聞いて「もう何もできることはない」と座っているのではなく、自分の回復に貢献しようとする。探究心があり、情報を得続け、とともに決定を下す。参加型医療モデルの力を体現する。

💡 語の由来:e-patient は Tom Ferguson が作った語で、原型は equipped・enabled・empowered・engaged の4つの e だった2。electronic と expert は後の議論で加えられたもので、下の6項目はその拡張版である。

e 患者にとっての意味
electronic 疾病・健康管理にデジタル技術を用いる
equipped デジタルヘルス技術を手元にもつ
enabled 新たに得た情報へのアクセスによって
empowered 象牙の塔の喪失によって
engaged 自分のケアに能動的に参加する
expert ケアや健康管理における技術の使用に熟達している

e-physicians(e医師)

患者と同じ6つの「e」で特徴づけられるが、内容が異なる3。

e 患者 医療専門職
electronic 疾病・健康管理にデジタル技術を用いる 診療でデジタル技術を難なく用いる
equipped デジタルヘルス技術を手元にもつ デジタルヘルス技術を手元にもつ
enabled 新たに得た情報へのアクセスによって とガイドラインによって
empowered 象牙の塔の喪失によって 自分の仕事と e患者を支える技術によって
engaged 自分のケアに能動的に参加する 患者の感情と視点を理解するためにと思いやりを必要とし、適切なフィードバックを与え、治癒の全過程に患者を巻き込む
expert ケアにおける技術の使用に熟達 診療での技術の使用に熟達、または最良で最も信頼できる情報源と技術を知っている

💡 対比の要点:患者は「象牙の塔の喪失」によってエンされ、は「技術と e患者」によってエンされる。同じ現象を両側から見ている。

参加型医療(participatory medicine)

医療における比較的新しい概念で、医療のあり方に現実的な変化をもたらしつつある。が100%指揮するアプローチとは対照的に、医療を求める患者がケアの過程でより能動的な役割を取る。患者は、助言を受けて指示どおりに進むのではなく、医療の過程のあらゆる段階に能動的に参加することが奨励される。

参加型医療の「」:は一人の人間にすぎず、したがってすべてを知ることはできない。医学の発展速度を考えれば、あらゆる新知見・発見・論文・ニュースについて最新であり続けることは実質的に不可能である。さらに、患者とその家族はとは異なる視点から問題に接近し、当事者としての利害があるために、適切な治療を見つける動機がより強い。

P4医療

医療は3つの現代的力——システム医療・ビッグデータ・ソーシャルネットワークを通じた患者の自身の健康への関与——の結果として深い変化を経験しつつある。この収斂が P4医療 へ導く4。

P 意味
Predictive
Preventive 予防的
Personalized 個別化された
Participatory 参加型

成立の順序:最初の3つのP(・予防的・個別化)は2000年代初頭に定式化され、4つ目のP(参加型)は後から加えられた4。参加型の医療制度を実現するには、大きな技術的・課題を克服する必要があり、それにはシステム医療とビッグデータとの緊密な統合が要る。

生物心理社会デジタルモデル

20世紀後半以降、生物医学モデルへの批判から生物心理社会パラダイムが提唱され、広く受け入れられた。「置き換わった」と言えるほど徹底しているわけではない——生物医学モデルは今も臨床の基盤として働いている。

  • 生物医学モデル:生物学的決定要因が疾病の主因であるとする
  • 第3・第4疫学期において、疾病の心理的・要素が同等に重要であることが明白になった(→ 疫学転換)。単一の原因を求めるのではなく、素因・引き金・維持因子の複雑な相互作用を求めるべきである
  • 後に、このアプローチにデジタル要素を加える提案がなされ、生物心理社会デジタルモデルと呼ばれる5。デジタル要素とは、生物学的自己のデジタルな拡張、技術の関与、オンラインネットワークの利用が、他の生物と同程度に注目に値するということ

デジタル要素が健康に影響しうる経路:

  • 携帯型機器が健康管理を支え、低い社会経済的地位の人や遠隔地の人に安価なアクセスを可能にする
  • オンラインのネットワーキングが、例えば支援を通じて健康に潜在的影響をもつ
  • 双方向の情報共有が患者の健康と健康行動に影響する

💡 これは健康格差と両義的に関わる——デジタル技術は格差を埋めうる(安価なアクセス)が、デジタルデバイドによって広げうる(→ と社会で、低所得世帯の子どものデジタル教育の不利として現れる)。

デジタルヘルス・eHealth・mHealth の関係

⚠️ 包含関係は「eHealth が最も広い」ではない。 は現在「デジタルヘルス」を包括語として用い、eHealth に加えてビッグデータ・・人工知能などの先進的計算科学の利用までを含める6。

用語 定義
最も広い包括語。健康のためのデジタル技術の開発と利用に関わる知識と実践の領域。eHealth を含み、さらにスマート機器・IoT・ビッグデータ解析・AI・ロボティクスまで及ぶ6。ただし社会学的な定義(1)は技術の集合ではなくそれがもたらす文化的変容を指す点で、位相が異なる
eHealth 医療における情報通信技術の利用。患者との電子メールでの連絡から、携帯型診断機器で測定・送信されるデータ、の人工知能までの広いスペクトルを包含する
mHealth 何らかのモバイル機器を利用するあらゆる医療(臨床実践・・個人の予防実践を含む)。携帯電話(スマート)だけでなく、電力網に物理的に接続しないあらゆる形態の技術——モバイル監視システム、携帯端末、携帯型センサーなど。携帯型スマート機器、モバイル画像機器、スマート血糖計・血圧計もmHealthに属する。eHealth の部分集合

💡 包含関係:デジタルヘルス ⊃ eHealth ⊃ mHealth。古い教材では eHealth を最の包括語とするものがあるが、 の現行文書ではデジタルヘルスが語である。

まとめ

  • デジタルヘルスの定義は「文化的変容」——破壊的技術がデータを医療者と患者の双方に開き、対等な患者関係・・ケアの民主化へ導く。技術の話ではない。
  • 医療 vs 近代医療の8対比:ケアの場=診療所→患者/集団→個人/階層→パートナーシップ/処方と指示→協働/データは施設→患者が所有/個人の経験→データ解析/権威→案内人/象牙の塔→ソーシャルメディア。規範的な対比であって達成された現実ではない。
  • 6つの「e」(electronic・equipped・enabled・empowered・engaged・expert)は患者との両方に当てはまるが内容が違う。患者は象牙の塔の喪失で、は技術と e患者によってエンされる。原型は Ferguson の4つの e(equipped・enabled・empowered・engaged)。
  • P4医療=Predictive・Preventive・Personalized・Participatory。最初の3Pが先、4つ目の participatory は後から追加された。
  • 参加型医療の論拠:は一人でありすべてを知りえない。患者と家族は異なる視点と強い動機をもつ。
  • 生物医学 → 生物心理社会 → 生物心理社会デジタルという拡張。デジタル要素は低SESや遠隔地への安価なアクセスという格差縮小の可能性と、デジタルデバイドという拡大の危険を併せもつ。
  • 包含関係は デジタルヘルス ⊃ eHealth ⊃ mHealth( の現行用語)。eHealth を最に置く整理は古い。

出典

  1. 1.Digital health is a cultural transformation of traditional healthcare(mHealth(著者 Bertalan Meskó, Zsófia Drobni, Éva Bényei, Bence Gergely, Zsuzsanna Győrffy)・2017)デジタルヘルスの定義——破壊的技術が医療者と患者の双方にデジタルで客観的なデータを利用可能にすることで、対等な医師患者関係・共有意思決定・ケアの民主化へ至る文化的変容。および伝統的医療と近代医療の対比表閲覧 2026-08-17
  2. 2.From Internet to Artificial Intelligence (AI) Bots: Symbiotic Evolutions of Digital Technologies and e-Patients(Journal of Participatory Medicine(著者 Daniel Z. Sands, Nancy B. Finn)・2025)e-patient という語は Tom Ferguson が「equipped(備えた)・enabled(力を与えられた)・empowered(主体化した)・engaged(関与する)」患者を指して作ったものであり、その後の技術発展のなかで概念が拡張されてきたこと閲覧 2026-08-17
  3. 3.The Rise of the Empowered Physician in the Digital Health Era: Viewpoint(Journal of Medical Internet Research(著者 Bertalan Meskó, Zsuzsanna Győrffy)・2019)e-physician の6つの特徴(electronic・equipped・enabled・empowered・engaged・expert)と、患者と医療専門職それぞれのエンパワメントの対比閲覧 2026-08-17
  4. 4.Participatory medicine: a driving force for revolutionizing healthcare(Genome Medicine(著者 Leroy Hood, Charles Auffray)・2013)P4医療——予測的(predictive)・予防的(preventive)・個別化(personalized)・参加型(participatory)。最初の3つのPは2000年代初頭に、4つ目の participatory は後に加えられたこと閲覧 2026-08-17
  5. 5.The Biopsychosocial-Digital Approach to Health and Disease: Call for a Paradigm Expansion(Journal of Medical Internet Research(著者 Alireza Ahmadvand, Robert Gatchel, John Brownstein, Lisa Nissen)・2018)生物心理社会モデルにデジタル要素を加えた生物心理社会デジタルモデルの提唱。デジタル要素とは生物学的自己のデジタルな拡張、技術の関与、オンラインネットワークの利用閲覧 2026-08-17
  6. 6.Global strategy on digital health 2020-2027(World Health Organization・2025)WHO は「デジタルヘルス」を包括語として用い、eHealth(mHealth を含む)に加えてビッグデータ・ゲノミクス・人工知能などの先進的計算科学の利用まで含めると定義していること閲覧 2026-08-17