分子細胞生物学

分子細胞生物学 · 45

インスリンシグナル伝達

Insulin signaling

応用トピック
糖尿病の食事療法と非インスリン薬

🧠 はした後、IRS-1という1枚の「基盤」をリン酸化し、そこから2本の経路が分岐する——MAPは主に「増殖」を、PI3-は主に「代謝」(グルコース取り込み・・糖新生抑制)を担う。 PKB(Akt)が下流の4つの標的(AS160、GSK3、FOXO1、)を同時にリン酸化して切り替えることで、1回のインスリン刺激が「取り込む・貯める・作らない・合成する」という一貫した代謝プログラムへとまとめ上げられる。のSer残基がリン酸化されると、この基盤ごと経路から外れてしまう——これがインスリン抵抗性の分子基盤である。

インスリンとその受容体

インスリンは高血糖に応答して膵臓のβ細胞から血流へ放出されるホルモンである。肝臓・脂肪組織・筋肉におけるグルコースの貯蔵に寄与する。インスリンはに結合し、細胞内イベントのカスケードをもたらす。

はであり、細胞外でインスリンに結合し、のを引き起こす(44-structure-and-function-of-tyrosine-kinase-receptors-the-erkl-erk2-map-kinase参照)。ただし他の多くのRTKと違い、はリガンドが無くても2本のと2本のがでつながった恒常的な二量体(α₂β₂)として存在する——インスリンが引き起こすのはではなく、活性化を妨げるからを許すへの切り替えである1。受容体が活性化されると、[PTBドメインを持つ]がの残基に結合する。がRTKによりリン酸化されると、異なるシグナル分子の部位として機能できるようになる。これにより2つの主要経路——MAPとPI 3-——を区別できる。

💡 は1種類ではない——番号で役割が分かれる。 主役はIRS-1とIRS-2の2つで、ほかにもファミリーメンバー(IRS-4など)が同定されている2。IRS-1は・チロシンキナーゼの主要基質で、リン酸化されるとPI 3-キナーゼのp85サブユニットに結合する。IRS-1欠損マウスはインスリン抵抗性とを示し3、IRS-2欠損マウスは肝でのインスリン抵抗性(骨格筋では認めない)と代償性β細胞過形成の欠如により10週齢までに2型糖尿病を発症する4。つまり同じ「」でも欠損したときに前面に出る表現型が違う(IRS-1は全身のと成長、IRS-2は肝と)。以下の記述の主役はIRS-1だが、が単一の分子ではないことを押さえておく。

MAPキナーゼ経路

  1. インスリンが受容体に結合する→受容体がを起こす
  2. IRS-1が受容体の上のリン酸化部位に結合する(SH2ドメインと同様の機能を持つPTBドメインを持つため)。RTKはその後IRS-1をリン酸化する
  3. IRS-1はGrb2のSH2ドメインに結合する→Grb2はSOSに結合する→SOSはRasに結合し、GDPをGTPに交換する→Raf(MAP3K)を活性化する
  4. Raf(MAP3K)がMEK(MAP2K)をリン酸化し、これがErk(MAPK)をリン酸化・活性化する
  5. Erk(MAPK)が核内へ移動し核内転写因子をリン酸化し、最終的にこれらを活性化する

→ 主に細胞増殖(など)を開始する。

(このカスケードの詳細は44-structure-and-function-of-tyrosine-kinase-receptors-the-erkl-erk2-map-kinase参照)

PI 3-キナーゼシグナル伝達経路

  • はPI 3-キナーゼにも結合できる。RasはPI 3-キナーゼの活性化に寄与する
  • PI 3-キナーゼの活性化はのへのリン酸化をもたらす。の濃度が十分に高くなると、PDK1(3-依存性-1)に結合する
  • PDK1はセリン/残基のリン酸化によりPKB(Akt)を活性化できる。活性化されたPKBはさらに多くの異なるを活性化できる

(PI 3-の詳細は42-phosphatidylinositol-signaling-pathways参照)

flowchart TD
  A["インスリンが<span class='jp-term jp-term-diagram' title='insulin receptor'>インスリン受容体</span>に結合"] --> B["受容体の<span class='jp-term jp-term-diagram' title='autophosphorylation'>自己リン酸化</span>"]
  B --> C["IRS-1がリン酸化され<span class='jp-term jp-term-diagram' title='docking'>ドッキング</span>基盤になる"]
  C --> D["Grb2-SOS-Ras-Raf-MEK-Erk(MAP<span class='jp-term jp-term-diagram' title='kinase pathway'>キナーゼ経路</span>)"]
  C --> E["PI3-キナーゼ活性化→<span class='jp-term jp-term-diagram' title='phosphatidylinositol 4,5-bisphosphate'>PIP2</span>→<span class='jp-term jp-term-diagram' title='phosphatidylinositol 3,4,5-trisphosphate'>PIP3</span>"]
  D --> F["核内TF活性化→細胞増殖"]
  E --> G["PDK1がPKB(Akt)をリン酸化・活性化"]
  G --> H["AS160・GSK3・FOXO1・<span class='jp-term jp-term-diagram' title='sterol regulatory element-binding protein'>SREBP</span>をリン酸化"]
  H --> I["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='glucose transporter 4'>GLUT4</span>転位による糖取り込み↑・<span class='jp-term jp-term-diagram' title='glycogen synthesis'>グリコーゲン合成</span>↑・糖新生↓・コレステロール合成↑"]

PKB(Akt)の効果

PKB/Aktはセリン/キナーゼである(標的タンパク質のセリン・残基をリン酸化することを意味する)。多くの異なる効果を持つ:

標的 PKBによるリン酸化の効果
AS160 PKBがAS160をリン酸化し不活性化する。AS160は低分子GTPase Rabのである。しかしAS160が不活性化されたことでRabが活性化状態になり、細胞内にあらかじめ蓄えられている()貯蔵小胞のへの転位()を誘導する→グルコース取り込み増加。誘導されるのはの新規合成ではなく既存の再配置であり、AS160のリン酸化はこのに必須である5
GSK3(3) をリン酸化・阻害しを阻害する。PKBはリン酸化によりGSK3を阻害し、インスリンへの応答としてをに保つ
FOXO1(TF) PKBがFOXO1をリン酸化し阻害する→糖新生の減少(グルコース産生が減る)
SREBP(TF) PKBにより活性化され、コレステロールの取り込みと合成を刺激する

⭐ PKB(Akt)は「1つのキナーゼで4つの異なる標的(AS160・GSK3・FOXO1・)を同時に制御する」として働く——これによりインスリンという単一のシグナルが「グルコースを取り込め・グリコーゲンを作れ・糖新生は止めろ・コレステロールも作れ」という一貫した代謝プログラムへと変換される。

インスリン抵抗性の分子機構

タンパク質のセリンリン酸化は、を受容体から解離させ(uncouple)、シグナル伝達の障害、最終的にはインスリン抵抗性につながりうる。セリンリン酸化はまたIRS-1タンパク質の分解を加速させることもある。このリン酸化を引き起こすメディエーターには:α、、ストレスなどがある。

⚠️ IRSのチロシンリン酸化(RTKによる、正常な経路)とセリンリン酸化(α等による、経路を破綻させる)は、同じタンパク質の異なる残基への修飾でありながら正反対の結果(シグナル伝達の開始 vs 障害)をもたらす——インスリン抵抗性の分子基盤として、どの残基がリン酸化されるかが決定的に重要である。

まとめ

  • インスリンはのに結合しを引き起こし、リン酸化されたIRS-1が下流のMAP(Grb2-SOS-Ras-Raf-MEK-Erk、主に増殖)とPI 3-(主に代謝)両方の基盤として働く。
  • PKB(Akt)はAS160(既存貯蔵小胞のへのによるグルコース取り込み増加)、GSK3(維持)、FOXO1(糖新生抑制)、(コレステロール合成促進)をリン酸化することで、インスリンシグナルを一貫した代謝プログラムへと変換する。
  • のセリンリン酸化(α・・ストレスにより誘導)はを受容体から解離させシグナル伝達を障害し、インスリン抵抗性の分子基盤となる。

出典

  1. 1.Mechanism of transmembrane signaling: insulin binding and the insulin receptor(Biochemistry・2000)インスリン受容体ファミリーはリガンド非存在下でも恒常的に二量体であり、インスリンの役割は二量体形成ではなく、活性化を妨げる立体構造からキナーゼのリン酸化を許す立体構造への変換である閲覧 2026-08-22
  2. 2.A novel 160-kDa phosphotyrosine protein in insulin-treated embryonic kidney cells is a new member of the insulin receptor substrate family(Journal of Biological Chemistry・1997)インスリン処理したヒト胎児腎細胞でチロシンリン酸化される160 kDaタンパク質がクローニングされ、インスリン受容体基質(IRS)ファミリーの新しいメンバーとして同定された。IRSはIRS-1・IRS-2だけではない閲覧 2026-08-22
  3. 3.Insulin resistance and growth retardation in mice lacking insulin receptor substrate-1(Nature・1994)IRS-1はインスリン受容体およびIGF-1受容体チロシンキナーゼの主要基質であり、チロシンリン酸化されたIRS-1はPI 3-キナーゼのp85サブユニットに結合する。IRS-1欠損マウスはインスリン抵抗性と成長遅延を示す閲覧 2026-08-22
  4. 4.Disruption of insulin receptor substrate 2 causes type 2 diabetes because of liver insulin resistance and lack of compensatory beta-cell hyperplasia(Diabetes・2000)IRS-2欠損マウスは肝でのインスリン抵抗性(骨格筋では認めない)と代償性β細胞過形成の欠如により、10週齢までに2型糖尿病を発症する閲覧 2026-08-22
  5. 5.AS160, the Akt substrate regulating GLUT4 translocation, has a functional Rab GTPase-activating protein domain(Biochemical Journal・2005)AS160はAktにより複数部位がリン酸化される160 kDaタンパク質で、機能的なRab GTPase活性化タンパク質(GAP)ドメインを持つ。脂肪細胞でのAS160リン酸化は、インスリンによるグルコース輸送体GLUT4の形質膜へのトランスロケーションに必要である閲覧 2026-08-22