微生物学

微生物学 · 1/37

ヒトの常在細菌叢とその意義

Normal microbial flora of humans and its significance

微生物
Lactobacillus

🧠 は「体にただ乗りしている邪魔者」ではなく、雇われた「用心棒」である。 ビタミン合成・定着阻止(競合排除)・抗菌物質産生・組織の発達促進・産生の刺激という5つの働きで宿主を助けている。だからこそ、抗菌薬でこの用心棒を追い払うと、のような病原体が代わりに定着する余地が生まれる——これがdysbiosisとの起点でもある。

常在細菌叢とは

とは、ヒトに定着する正常な微生物の集団を指す。食品の代謝への関与、必須の供給、感染に対する防御、免疫応答の刺激という役割を担う。

ヒトのは非常に複雑で、200種を超える細菌種からなる。その構成は遺伝、年齢、性別、ストレス、、など多くの因子に左右される。

⚠️ 「細菌はヒト細胞の10倍いる」という数字は撤回されている。 長らく引用されてきた10対1という比は、実測に基づかない古い概算だった。2016年の再推計では、体重70 kgの「標準ヒト」で細菌が3.8×10¹³個、ヒト細胞が3.0×10¹³個(うち約90%が赤血球を中心とする細胞)と、両者はほぼ同数(同じオーダー)であり、細菌の総質量はわずか約0.2 kgにすぎない1。「圧倒的多数の他者が体内にいる」という物語ではなく、「ヒト細胞と同程度の数の細菌と共存している」と押さえる。

⚠️ 「200種」「無菌」という数字・断定は、培養できる菌だけを数えた時代の像である。 の記述は、培養法から16S 解析・メタといった培養に依らない手法へ移行したことで大きく書き換えられた。培養できる菌は常在菌のごく一部にすぎないため、この転換によって菌種数は桁違いに増え、「無菌」とされてきた部位(下気道など)にも細菌群集が見つかった2。以下の部位別の記載は培養に基づく古典的な像として読み、「検出できなかった」と「存在しない」は別だと意識しておく。

常在細菌叢の有益な作用

  1. ビタミンの合成・放出:自らの必要量を超えて合成・分泌したビタミンが宿主の栄養として吸収される(例:腸内細菌によるビタミンK・ビタミンB12の分泌、によるB群ビタミンの産生)
  2. 病原体の定着阻止:付着部位や必須栄養素をめぐって病原体と競合することで、その定着を防ぐ——この働きはと呼ばれ、①栄養素・付着部位の直接競合だけでなく、②・といったによる阻害、③細菌素()の産生、④との誘導、という複数の機序が重なって成立している3
  3. 他の細菌への:非在来種を阻害・殺菌する物質を産生する(例:腸内細菌が産生するさまざまな抗菌物質)
  4. 組織の発達の促進:盲腸や消化管のリンパ組織など、特定の組織の発達を促す
  5. 産生の刺激:免疫応答、特に応答を誘導しうる

の詳細な菌叢と、そこから生じる感染症については口腔・消化管・性器の各論で扱う。

部位別の常在細菌叢

皮膚

腋窩・・など湿度の高い部位に多い。皮膚の微生物は表皮の最も表層に存在し、脂肪酸を産生して真菌・酵母の増殖から皮膚を保護する。例:Staphylococcus epidermidis、、Corynebacteria。

結膜

からの持続的な分泌によって湿潤・健常に保たれる。のたびに表面が機械的に洗浄され、異物(細菌を含む)が除去される。S. epidermidis、、グラム陰性桿菌。

呼吸器

  • 鼻腔:S. epidermidisとCorynebacteriaに高度に定着し、しばしばS. aureusも定着する——ここが同菌の主要な保菌部位となる
  • 咽頭:レンサ球菌とさまざまなグラム陰性球菌が定着する。時にS. pneumoniae、S. pyogenes、、Neisseria meningitidisといった病原体が定着することもある
  • 下気道(気管・気管支・肺組織):線毛上皮の清掃作用により無菌に保たれる。下気道へ到達した細菌は咳・くしゃみ・嚥下によって除去される——⚠️ ただし「健常な肺は無菌」は培養に依った古い記述で、16S 解析などの培養非依存法では健常な肺にも口腔咽頭由来を中心とした多様な細菌群集が検出される。肺は「無菌」なのではなく、流入(微量誤嚥)と排出(・咳)が釣り合って菌量が極めて少なく保たれている動的な場と理解するのが現在の見方である2

口腔

レンサ球菌・・ブドウ球菌・に加え、多数の嫌気性菌(特にBacteroides)が存在する。

  • 出生時、口腔は無菌だが急速に環境からの定着が進む。歯が生えるまではStreptococcus salivariusが優勢
  • 歯の後はS. mutansとS. sanguisが定着する
  • 思春期頃にはBacteroidesとスピロヘータが加わり、口腔フローラはさらに複雑化する

消化管

  • 上部消化管(食道):唾液・食物とともに嚥下された細菌のみが存在する
  • 胃:胃酸の酸性度のため培養できる細菌は非常に少ないが、Helicobacter pyloriが胃内に見られる(検出率は最大約50%)。💡 胃も「ほぼ無菌」ではない——生検23例の16S rDNAクローン解析では128のフィロタイプが検出され、Proteobacteria・Firmicutes・Actinobacteria・Bacteroidetes・Fusobacteria が主体だった。同研究では従来法でH. pylori陽性は12例だったのに対しrDNAでは19例で検出され、しかもH. pyloriの有無は胃内細菌叢の構成を変えなかった4
  • 小腸近位部:比較的まばらなグラム陽性フローラで、主にとEnterococcus faecalisからなる
  • 小腸:大腸菌群(E. coliとその近縁種)やBacteroidesを含む、より多様で豊富な菌種が加わる
  • 大腸(結腸):便のフローラとほぼ同じ。がより優勢になり、腸球菌・クロストリジウム・もみられるが、優勢な菌種は嫌気性のBacteroidesと嫌気性である
  • 出生時:消化管全体は無菌だが、初回の哺乳とともに細菌が侵入する。が腸内細菌全体の90%以上を占めるようになり、「腸の」として知られる。の腸内で優勢な菌種であり、病原体の定着を防いでいると考えられている。ヨーグルトの製造やにもしばしば利用される

⚠️ 「/悪玉菌」という二分は、の理解としては成り立たない。 同じ菌が場所と状況によって守り手にも病原体にもなる——大腸菌は大腸では常在菌だが尿路に入れば尿路感染症を起こし、はを作る一方で血流に入れば心内膜炎を起こす。「が90%以上」という数値も母乳栄養・時期・地域に強く依存するもので、903人の乳幼児を3〜46か月にわたり16S rRNA・メタゲノムで追跡した研究では、母乳の摂取が細菌叢構成を規定する最大の因子であり、母乳中止とともにFirmicutes優位へ急速に移行することが示されている5。菌を善悪で分けるのではなく、「どの部位に、どの時期に、どれだけいるか」で読む。

泌尿生殖器

腟は出生後まもなく・ブドウ球菌・レンサ球菌・E. coli、およびであるLactobacillus acidophilusによって定着する。

  • 性成熟期にはにグリコーゲンが含まれる→Lactobacillusがグリコーゲンを乳酸へ代謝する→乳酸などの産生物がLactobacillus属以外の細菌の定着を阻害する
  • その結果生じるの低pHが他の細菌の定着を防ぐ(保護的作用)——この腟内叢は臨床上「桿菌(Döderlein’s bacilli)」とも呼ばれる

部位別の常在細菌叢:早見表

解剖学的部位 優勢な菌
皮膚 ブドウ球菌、
わずかな、・グラム陰性桿菌
口腔(歯) レンサ球菌、
口腔(粘膜) レンサ球菌、
上気道(鼻腔) ブドウ球菌、
上気道(咽頭) レンサ球菌、、グラム陰性桿菌・球菌
下気道 なし(無菌)
消化管(胃) (最大50%)
消化管(小腸) 、腸内細菌、腸球菌、
消化管(大腸) Bacteroides、、腸内細菌、腸球菌、クロストリジウム、メタン産生菌
泌尿生殖器() わずかな、ブドウ球菌、、腸内細菌
泌尿生殖器(腟) 性成熟期はが優勢、それ以外は

主な常在菌属(詳細)

原典に付された模式図では、以下の菌属が部位ごとに列挙されている。

部位 主な菌属
皮膚 Staphylococcus epidermidis、他の、Cutibacterium acnes(旧 Propionibacterium acnes)、など
口腔・咽頭 Viridans群レンサ球菌、Lactobacillus、Actinomyces、Veillonella、Porphyromonas、ナイセリア、など
腟 Lactobacillus、Gardnerella、Streptococcus、カンジダなど
大腸(99%が) Bacteroides fragilis、Porphyromonas、Fusobacterium、大腸菌、Klebsiella、Enterobacter、Serratia、Streptococcus、Bifidobacterium(乳児ので最初に定着する菌)、Lactobacillus、Veillonella、Prevotella、Proteus、カンジダ、Enterococcus、Ruminococcaceaeなど

⚠️ 学名の更新:Propionibacterium acnes → Cutibacterium acnes(2016年)。 Propionibacteriaceae科162株の全ゲノム比較で、16S による系統と高のコアゲノム系統が大きく食い違うことが示され、皮膚常在の「cutaneous propionibacteria」がCutibacterium属として独立した(同時に Acidipropionibacterium・Pseudopropionibacterium も新設)6。旧名 P. acnes は文献・実習・試験にまだ多く残っているので、両方を対応づけて覚える。()だけでなく、人工関節・・手術後の感染のとしても重要な菌である。

💡 のフローラは、その場の環境(湿度・pH・・栄養)によって決まる。 下気道が無菌なのは線毛による物理的クリアランス、胃に細菌が少ないのは強酸性、腟が優位なのはによる低pH——「なぜその菌が優勢か」を環境要因から説明できるようにしておくと、丸暗記に頼らずに済む。

まとめ

  • は200種を超える細菌からなり、ビタミン合成・病原体定着阻止( colonization resistance)3・拮抗物質産生・組織発達促進・産生刺激という5つの機序で宿主を保護する。
  • 「細菌はヒト細胞の10倍」は撤回済みで、細菌3.8×10¹³個 対 ヒト細胞3.0×10¹³個とほぼ同数(細菌の総質量約0.2 kg)1。部位別の古典的な記述は培養法に基づくもので、16S rRNA・メタへの転換により「無菌」とされた下気道や胃にも細菌群集が見つかっている24。
  • 皮膚・・上気道はブドウ球菌・主体で比較的単純だが、下気道は線毛によるクリアランスのため無菌に保たれる。
  • 口腔・は年齢とともに複雑化し(無歯期のS. salivarius→後のS. mutans/S. sanguis→思春期のBacteroides・スピロヘータ)、大腸では嫌気性のBacteroidesと嫌気性が優勢になる。
  • 出生時は無菌の消化管も初回哺乳後にが急速に優勢となり(で特に顕著)、病原体の定着を防ぐ「」として働く。
  • 腟は性成熟期にLactobacillus acidophilusがグリコーゲンを乳酸に代謝し、低pHによって他の細菌の定着を防ぐ保護的な環境(桿菌叢)を作る。

出典

  1. 1.Revised Estimates for the Number of Human and Bacteria Cells in the Body(PLoS Biology・2016)体重70 kgの「標準ヒト」における細菌数を3.8×10¹³個、ヒト細胞数を3.0×10¹³個(うち約90%が造血系細胞)と推計し、広く引用されてきた「細菌はヒト細胞の10倍」という10対1の比を否定した。両者は同じオーダーであり、細菌の総質量は約0.2 kgにすぎない閲覧 2026-08-26
  2. 2.The Microbiome and the Respiratory Tract(Annual Review of Physiology・2016)「正常な肺は無菌である」という教科書的記述は、ほぼ常に文献の裏づけも論証もないまま述べられてきたものであり、培養に依らない微生物同定法(16S rRNA遺伝子解析など)により、健常な肺にも口腔咽頭由来を中心とした多様な細菌群集が存在することが明らかになった閲覧 2026-08-26
  3. 3.Gut Microbiota and Colonization Resistance against Bacterial Enteric Infection(Microbiology and Molecular Biology Reviews・2019)腸内細菌叢が腸管病原体の定着を妨げる働きは colonization resistance(定着抵抗性)と呼ばれ、栄養素・付着部位をめぐる直接競合、短鎖脂肪酸や二次胆汁酸など代謝産物を介した阻害、細菌素(バクテリオシン)の産生、宿主免疫・粘液層の誘導という複数の機序からなる。抗菌薬曝露はこの抵抗性を崩し、Clostridioides difficileなどの日和見病原体が定着する余地を生む閲覧 2026-08-26
  4. 4.Molecular analysis of the bacterial microbiota in the human stomach(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America・2006)23例の胃粘膜生検からの16S rDNAクローンライブラリ1,833配列の解析で128のフィロタイプが同定され、Proteobacteria・Firmicutes・Actinobacteria・Bacteroidetes・Fusobacteriaが主体だった。Helicobacter pyloriのrDNAは19例で検出されたが従来法で陽性だったのは12例のみで、H. pyloriの有無は胃内細菌叢の構成に影響しなかった閲覧 2026-08-26
  5. 5.Temporal development of the gut microbiome in early childhood from the TEDDY study(Nature・2018)生後3〜46か月の小児903人の便検体を16S rRNA遺伝子解析(12,005検体)とメタゲノム解析(10,867検体)で縦断的に追跡し、腸内細菌叢が発達期(3〜14か月)・移行期(15〜30か月)・安定期(31〜46か月)の3相を経ることを示した。細菌叢構成と最も強く関連した因子は母乳の摂取で、母乳栄養児ではBifidobacterium(B. breve・B. bifidum)が多く、母乳の中止によってFirmicutes優位への成熟が加速した閲覧 2026-08-26
  6. 6.The natural history of cutaneous propionibacteria, and reclassification of selected species within the genus Propionibacterium to the proposed novel genera Acidipropionibacterium gen. nov., Cutibacterium gen. nov. and Pseudopropionibacterium gen. nov.(International Journal of Systematic and Evolutionary Microbiology・2016)Propionibacteriaceae科162株の全ゲノム比較により、16S rRNA遺伝子系統と高解像度コアゲノム系統の間に大きな乖離があることが示され、皮膚常在の「cutaneous propionibacteria」はCutibacterium属として新属に移された(Propionibacterium acnes → Cutibacterium acnes)。同時にAcidipropionibacterium属・Pseudopropionibacterium属も新設された閲覧 2026-08-26