薬理学

薬理学 · A14

吸入麻酔薬

A14: Inhalational anesthetics

前提:病態
Core6:有効性と力価Core13:薬物の分布Core50:化学構造と複雑さによる薬物分類Core69:薬剤性有害反応:鎮静
応用トピック
麻酔科学IV:吸入麻酔薬
薬剤
イソフルランキセノンセボフルランデスフルランメトキシフルラン亜酸化窒素
疾患
悪性高熱症

🧠 全体像:は化学的性質で 【】 と 【(・)】 の2つに分けるのが王道。 語尾 -flurane==-A増強=の誘因1、ガス(/)=NMDA拮抗=を起こさない。

薬ごとの性質は2つの物理量でほぼ決まる。(=minimum alveolar concentration)=の指標(低いほど強い)、血液/ガス(溶解度)=導入・覚醒の速さ(低いほど速い)。 前者は「どれだけ濃く要るか」、後者は「どれだけ速く効いて速く抜けるか」で、まったく別の軸である。

効力と速さを決める2つの物理量

最小肺胞濃度(MAC)——効力の物差し

は「皮膚切開のようなに対して50%の人が体動を示さない肺胞内濃度」と定義される2。1気圧・定常状態での値なので、濃度そのものではなく「その薬がどれだけ濃く必要か」を薬剤間で比べるための単位である。が低いほどが高い。

💡 は「意識を消す濃度」ではない。 が体動を抑えるのは主に脊髄への作用であり、健忘・は脳が担う。そして明示的記憶の成立を防ぐ濃度・意識を消す濃度は、体動を止める濃度よりふつうかなり低い2。だから「1 で投与しているから覚えていないはず」とも、「0.6 だから動くはず」とも言えない。

⚠️ は固定値ではなく、患者と併用薬で動く。 米国の添付文書 Table 9 は、酸素中のを年齢別に 0〜1か月 3.3% → 6か月〜3歳未満 2.8% → 25歳 2.6% → 40歳 2.1% → 60歳 1.7% → 80歳 1.4% と示している。新生児・乳児で最も高く、成人期以降は年齢とともに下がる(80歳では新生児の半分以下)。⚠️ ただし小児期の値はではなく、同じ表で3〜12歳2.5%に対し25歳2.6%とわずかに逆転する3。同じ表は65%を併用すると 25歳 1.4%・40歳 1.1%・60歳 0.9%・80歳 0.7% まで下がることも示す——これがの節減効果である3。オピオイド・鎮静薬の併用、低体温、妊娠などもを下げる向きに働くとされるが、個別因子の一覧については麻酔科 B-17:に整理がある。

血液/ガス分配係数——速さの物差し

血液に溶けにくい(係数が小さい)薬ほど、肺胞に留まって肺胞分圧が速く立ち上がるため、導入も覚醒も速い。・が速く、・は遅い。

💡 「よく溶ける=よく効く」ではない。 溶解度が高い薬は血液という大きな溜め池に吸い込まれてしまい、肺胞分圧=脳に届く分圧がなかなか上がらない。溶解度は速度の指標であって、()とは独立である。

揮発性ハロゲン化麻酔薬

主に-A受容体を増強。いずれもの誘因となるため要注意。

  • — 適応:全身麻酔の導入+維持|が少なく 小児のに好適
  • — 適応:全身麻酔の維持(古典的・安価)
  • — 適応:維持|→導入/覚醒が最速(ただしが強く咳・を起こしやすい)
  • — かつて汎用された。⚠️ 肝炎(軽症の代謝性障害から、まれにが疑われる致死的劇症型まで)が問題となり、現在は多くの地域で臨床使用されなくなった歴史的薬剤4

⚠️ には明確な禁忌がある。 米国の添付文書は、へのが既知または疑われる患者と、または他のへの過敏症が既知または疑われる患者の2つを禁忌に挙げている3。後者はクラス内の交差性を前提にした書き方なので、「別の -flurane に替えればよい」とは読めない。⚠️ これは米国の1文書の記載であって、他国の添付文書の禁忌欄が同じとは限らない。

ガス麻酔薬(NMDA拮抗)

NMDA受容体を拮抗。を起こさない。

亜酸化窒素の3つの物理現象

現象 いつ起きるか 何が起きているか 対処
導入時 が肺胞から血液へ大量・急速に移動し、肺胞内に残ったが濃縮される→併用薬のが押し上げられ導入が速まる 利用する(副作用ではない)
投与終了時 同じ勾配が逆向きに働き、血中のが肺胞へ噴き出して肺胞のを薄める 終了時に高濃度酸素を投与する
の膨張 投与中 (血液/ガス0.47)は窒素よりはるかによく血液に溶けるため、閉じた空へ入る速度が窒素の出ていく速度を大きく上回り、腔が膨らむ 気胸・腸閉塞・中耳手術・頭蓋内・では使わない

💡 3つとも「が血液に溶けにくく、しかも大量に投与される」という1つの事実の言い換えである。 導入時は味方()、終了時とがある患者では敵(・膨張)になる。詳細はのノートにある。

亜酸化窒素とビタミンB12

はビタミンB12()のコバルト原子を酸化し、B12をとするを不活性化する5。ではこの阻害が選択的で、同じB12依存酵素でもミトコンドリアのは影響を受けなかった6。

⚠️ 臨床的な帰結は「もともとB12が足りない人」で出る。 ビタミンB12欠乏のある患者では、麻酔のまれな合併症としてが報告されている5。B12欠乏の危険因子(菜食・胃切除/小腸切除後・やセリアック病・やの使用)がある患者、長時間・反復曝露ではを避ける。

⚠️ 血清B12が正常でも否定できない。 これは機能的なB12欠乏なので、血清B12濃度は内にとどまることが多く、の上昇のほうが鋭敏である5。血液学的にはと同じ代謝ブロックが起きている。

悪性高熱症——揮発性麻酔薬の最も危険な副作用

⚠️ 誘因薬は「」と「(/)」の2種類だけで、両者を併用すると発症リスクはさらに上がる13。・・・オピオイド・・は誘因にならない。

  • 早期の徴候:説明のつかない呼気終末CO₂の上昇、を深めても反応しない頻脈、(が先行しうる)、、、3
  • ⚠️ 体温上昇は遅れて現れることがある。発熱を待って治療を始めない
  • 対処:誘因薬(と)をすべて中止し、へ切り替え、を静注し、支持療法を開始する13

💡 鑑別は「何に曝露したか」で決まる。 ・・は「発熱+筋の異常+意識変容」で重なり、とくにとは臨床像がほぼ区別できない。曝露歴と発症までの時間による切り分けはCore53:薬剤性:に表で整理してある。

⭐ 高頻度ポイント:-flurane()=-A増強、の誘因 → 治療は1。ガス(/)=NMDA拮抗、を起こさない。溶解度が低いほど導入/覚醒が速い(・)。が低いほどが高い(は>100%なので補助のみ)。は成人期以降は年齢とともに下がり、の併用でも下がる3。

💡 は温室効果ガスでもある。 とは他のより地球温暖化係数が大きく、臨床的利益が乏しい場面での使用回避やなど、欧州を中心に排出削減の取り組みが進んでいる7。

🔁 1枚図でまとめ

flowchart TD
  R["A14: <span class='jp-term jp-term-diagram' title='inhalational anesthetic'>吸入麻酔薬</span>"]
  R --> V["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='volatility'>揮発性</span>ハロゲン化(-flurane)<br><span class='jp-term jp-term-diagram' title='gamma-aminobutyric acid'>GABA</span>-A増強・<span class='jp-term jp-term-diagram' title='malignant hyperthermia'>悪性高熱</span>の誘因"]
  R --> G["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='gaseous anesthetics'>ガス麻酔薬</span><br>NMDA拮抗・<span class='jp-term jp-term-diagram' title='malignant hyperthermia'>悪性高熱</span>を起こさない"]
  V --> Sevo["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='sevoflurane'>セボフルラン</span><br>導入+維持・小児導入に好適"]
  V --> Iso["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='isoflurane'>イソフルラン</span><br>維持(安価)"]
  V --> Des["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='desflurane'>デスフルラン</span><br>最速の導入/覚醒・<span class='jp-term jp-term-diagram' title='airway irritation'>気道刺激</span>"]
  G --> N2O["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='nitrous oxide, N2O'>亜酸化窒素</span>(<span class='jp-term jp-term-diagram' title='laughing gas (nitrous oxide)'>笑気</span>)<br>鎮痛補助・<span class='jp-term jp-term-diagram' title='Mycobacterium avium complex'>MAC</span>>100%"]
  G --> Xe["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='xenon'>キセノン</span><br>心血管安定・<span class='jp-term jp-term-diagram' title='neuroprotection'>神経保護</span>・高価"]

📋 まとめ表

薬剤 分類 機序 特徴・適応
-A増強 導入+維持・小児導入に好適
増強・抑制 維持(古典的・安価)
-A増強() 導入/覚醒が最速・
(歴史的薬剤) -A増強 肝炎のため使用減少
() NMDA拮抗 鎮痛補助・>100%・B12不活性化
() NMDA拮抗 心血管安定・・高価

出典

  1. 1.JSA guideline for management of malignant hyperthermia in 2025(Japanese Society of Anesthesiologists・2026)揮発性吸入麻酔薬とスキサメトニウムが感受性患者で悪性高熱症を誘発し、誘発薬中止・高流量酸素投与・ダントロレン投与を中心とする初期対応が必要であることを確認した。閲覧 2026-08-27
  2. 2.Minimum alveolar concentration: ongoing relevance and clinical utility(Anaesthesia(Aranake, Mashour, Avidan. 2013;68(5):512-522)・2013)抄録で確認した(全文は取得していない)。MACの定義は逐語で "the minimum alveolar concentration of inhaled anaesthetic at which 50% of people do not move in response to a noxious stimulus"。さらに逐語で "volatile anaesthetics inhibit mobility largely through action on the spinal cord, whereas the amnesic and hypnotic effects are mediated by the brain" とし、"the concentration of volatile anaesthetic needed to prevent explicit memory from developing, and to produce unconsciousness, is usually substantially lower than the concentration required to prevent movement in response to surgery" と述べる。⚠️ MACが低下・上昇する個別因子の一覧は抄録に無いので、本稿の脚注はこの2点にしか掛からない閲覧 2026-09-22
  3. 3.ULTANE- sevoflurane liquid(DailyMed(米国添付文書、AbbVie Inc.、NDA020478)・2025)旧様式のラベルで本文に印字された Revised 表示が無いため、year は SPL の effectiveTime(20250113)から採った。Table 9(MAC Values for Adults and Pediatric Patients According to Age)は酸素中のMACを 0〜1か月 3.3%、1〜6か月未満 3.0%、6か月〜3歳未満 2.8%、3〜12歳 2.5%、25歳 2.6%、40歳 2.1%、60歳 1.7%、80歳 1.4% とし、65% N2O/35% O2 中では 25歳 1.4%、40歳 1.1%、60歳 0.9%、80歳 0.7% へ下がる。CONTRAINDICATIONS は逐語で "Known or suspected genetic susceptibility to malignant hyperthermia" と "Known or suspected sensitivity to sevoflurane or to other halogenated inhalational anesthetics" の2項目。WARNINGS の Malignant Hyperthermia は逐語で "The risk of developing malignant hyperthermia increases with the concomitant administration of succinylcholine and volatile anesthetic agents"、対処は "discontinue all triggering agents (i.e., volatile anesthetic agents and succinylcholine), administer intravenous dantrolene sodium, and initiate supportive therapies"、徴候として咬筋攣縮を含む筋強剛・麻酔深度を深めても反応しない頻脈・高炭酸ガス血症などを挙げる閲覧 2026-09-22
  4. 4.Halothane hepatitis(British Journal of Anaesthesia・1991)ハロタン肝炎について、頻度の高い軽症型(還元的代謝や肝酸素供給低下が関与)と、まれで致死的な劇症型(免疫介在性が疑われる)の2つの病型が区別されてきたという歴史的経緯を、レビューの本文で確認した。閲覧 2026-08-27
  5. 5.Nitrous oxide-induced subacute combined degeneration of the cord: diagnosis and treatment(Practical Neurology(Pract Neurol 2023;23(3):222-228)・2023)PMC10313972の全文で確認した。機序は逐語で "Vitamin B12 inactivation was soon established as the likely mechanism of toxicity, as N2O oxidises the cobalt atom integral to vitamin B12 function"。麻酔との関係は逐語で "N2O-SACD was subsequently reported as an infrequent complication of N2O anaesthesia in patients with pre-existing subclinical B12 deficiency"。検査の注意は逐語で "as N2O-SACD is a functional deficiency of B12, serum B12 concentrations are often within the reference range" で、機能的欠乏なので血清B12は基準範囲内のことが多く、メチルマロン酸の上昇のほうが鋭敏である(本稿の施設ではホモシステインより特異的として推奨)閲覧 2026-09-22
  6. 6.Selective inactivation of vitamin B12 in rats by nitrous oxide(The Lancet・1978)ラットを亜酸化窒素に曝露すると、ビタミンB12依存性の細胞質酵素であるメチオニン合成酵素(methionine synthetase)の活性が急速に阻害される一方、ミトコンドリア酵素のメチルマロニルCoAムターゼは影響を受けなかったことを確認した。閲覧 2026-08-27
  7. 7.Inhaled Anesthetics: Environmental Role, Occupational Risk, and Clinical Use(Journal of Clinical Medicine・2021)デスフルランと亜酸化窒素が他の吸入麻酔薬に比べ地球温暖化係数が大きく温室効果への寄与が大きいこと、低流量麻酔の実施や臨床的利益が乏しい場面での使用回避など、欧州を中心に排出削減の取り組みが進んでいることを確認した。閲覧 2026-08-27