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Disease Atlas · 感染症 · 疾患

旅行者下痢症

Travelers' diarrhea

別名
旅行者下痢渡航者下痢症
臓器系
感染症消化器
科目
Medical MicrobiologyInternal MedicinePathologyPharmacology
トピック
微生物学 2/11:大腸菌内科学 L-46:感染性胃腸炎病理学 C/38:腸炎(Enterocolitis)薬理学 C18:メトロニダゾール・フィダキソマイシン・リファキシミン・ニトロフラントイン・ホスホマイシン
鑑別疾患
コレラ
合併症
脱水
続発疾患
過敏性腸症候群
関連疾患
細菌性急性胃腸炎
治療薬
アジスロマイシンシプロフロキサシンリファキシミンロペラミド次サリチル酸ビスマス
原因微生物
Escherichia coli(腸管毒素原性など)Campylobacter jejuniSalmonella enterica(非チフス性)Shigella sonneiノロウイルスGiardia lamblia
症状
下痢腹痛発熱血便嘔吐

🧠 全体像:は「どの菌か」を当てる病気ではなく、重症度と侵襲性の有無で行き先が決まる病気である。大半はによる毒素性の水様性下痢で、経口補水とだけで数日以内に自然軽快する。抗菌薬が要るのは中等症以上で、血便や高熱があればとしてアジスロマイシンへ寄せ、と単独は外す。そして予防では、かつて標準だったフルオロキノロンが耐性との持ち帰りを理由に外された——この「治療では使えるが予防では使わない」という非対称が現在の要点である。

定義と疫学

は、衛生水準の低い地域への渡航中または帰国直後に生じるである。が原因の大半を占め、渡航開始2週以内の発症率は地域と季節により30〜70%と報告されている(いずれも下記論文が他文献を引用した数値)1。

6か国(ジブチ・ジョージア・エジプト・ホンジュラス・ネパール・ペルー)で2018〜2023年に急性下痢のを満たした512例を登録したでは、403例(79%)から病原体が検出され、Escherichia coliが6か国すべてで最多(検出割合67〜82%)だった。ノロウイルスは4〜29%、Campylobacter jejuniは2〜20%で、Salmonellaはエジプト・ジブチ(各6%)を除く全ての国で最少だった。E. coliの病原型では(ETEC)が6か国中5か国で最多である1。

群 代表的な病原体 便の性状 補足
毒素性() ETEC、 水様性、血液・白血球を欠く 最多。発熱は軽微か無い
侵襲性 Campylobacter jejuni、Shigella sonnei、Salmonella 血便・、 発熱・血便・けいれん性腹痛を伴う
ウイルス性 ノロウイルス 水様性、嘔吐が目立つ クルーズ船などの集団発生
原虫性 Giardia lamblia、Cryptosporidium 遷延する・ 2週以上続くで考える

病態生理——ETECの2つの毒素

flowchart TD
    A["汚染された水・食品からETECを経口摂取"] --> B["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='small intestinal mucosa'>小腸粘膜</span>に<span class='jp-term jp-term-diagram' title='colonization factor'>定着因子</span>で付着(侵入はしない)"]
    B --> C["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='heat-labile toxin, LT'>易熱性毒素</span>LTが<span class='jp-term jp-term-diagram' title='adenylyl cyclase, AC'>アデニル酸シクラーゼ</span>を活性化"]
    B --> D["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='heat-stable toxin, ST'>耐熱性毒素</span>STaが<span class='jp-term jp-term-diagram' title='guanylate cyclase-C receptor'>グアニル酸シクラーゼC受容体</span>を活性化"]
    C --> E["細胞内<span class='jp-term jp-term-diagram' title='cyclic adenosine monophosphate'>cAMP</span>が上昇"]
    D --> F["細胞内cGMPが上昇"]
    E --> G["CFTRを介した塩化物イオン分泌が増加し<br>ナトリウム吸収が抑制される"]
    F --> G
    G --> H["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='isotonic'>等張性</span>の<span class='jp-term jp-term-diagram' title='watery stool'>水様便</span>=<span class='jp-term jp-term-diagram' title='secretory diarrhea'>分泌性下痢</span>"]
    H --> I["脱水・電解質異常"]

💡 LT毒素はとほぼ同じ働きをする。 どちらもを活性化してを上げ、同じを作る。それでもはと数時間でに至る大量の下痢という点で臨床像が別物で、渡航者の水様性下痢を見たときは流行地の情報と脱水の速さで線を引く。

ETECはへ付着するだけで侵入しない。だから便に血液も白血球も出ず、発熱も軽い。下痢は毒素が起こす純粋なであり、粘膜の破壊によるではない。この「侵入しない」という一点が、次に述べるの分岐をそのまま決めている。

💡 STa毒素の受容体は、便秘治療薬の標的と同じである。 (GC-C)はもともと腸管の水分分泌を調節する生理的な受容体で、ETECのSTa毒素はこれを病的に強く活性化して大量のを作る。は同じ受容体を治療域の用量でに軽く活性化して便秘を治す。同じスイッチを、毒素は壊れるまで押し、薬は加減して押す——な下痢がの主な副作用になるのは、この機序の裏返しである。

重症度分類

は病原体ではなく重症度で決まる2。

重症度 定義の要点
軽症 我慢でき、予定した活動を妨げない
中等症 苦痛を伴うか、予定した活動を妨げる
重症 活動が不可能になる。を伴うは全て重症に分類する
持続性 2週間以上続く

治療

重症度 抗菌薬 対症療法
軽症 推奨しない(強い推奨) またはを考慮してよい
中等症 使ってよい(弱い推奨)。アジスロマイシン・などのフルオロキノロン・ は補助としても単剤としても使ってよい
重症 使うべき(強い推奨)。アジスロマイシンが優先 は抗菌薬との併用で用いる
(血便) アジスロマイシンが第一選択。⚠️ ・フルオロキノロンはでない場合に限られる ⚠️ 単独は避け、抗菌薬と併用する

すべての重症度で基礎になるのは経口補水である。多くの成人ではのや、清潔な飲料と塩分・糖分を含む食品の組み合わせで足りるが、乳幼児・高齢者・大量排便例では標準的な脱水評価とを用いる。中等症・重症にはを用いてよい2。

⚠️ 抗菌薬を使ってはいけない、あるいは薬を選び直さなければならない場面がある。

  • 血便・高熱がある():を疑う。は腸管からほとんど吸収されず粘膜内へ侵入した菌に届かないため、侵襲性病原体には使わない。 フルオロキノロン・が使えるのはでない場合に限られ、ではアジスロマイシンを第一選択にする2。
  • の単剤使用:中等症までは単剤でよいが、では腸管内容の停滞を招くため単独で用いず、抗菌薬と併用する2。
  • が疑われる状況での抗菌薬・の扱いを含め、そのものの評価と治療はの項に譲る。

予防

手段 位置づけ 根拠
あらゆる旅行者で考慮してよい。予防効果は60%超。⚠️ 検討された用量は1日2.1〜4.2 gをで、旅行中ずっと飲み続けることになる 強い推奨・高い質2
抗菌薬予防が適応となるときの推奨薬。5件の無作為化試験で強い予防効果 強い推奨・中等度の質2
抗菌薬予防そのもの ルーチンには行わず、健康上のが高い旅行者に限る 強い推奨・低い〜非常に低い質2
フルオロキノロン(など) 予防に推奨しない 強い推奨・低い〜非常に低い質2
・ 予防にも治療にも推奨する根拠が不十分 格付けなし2

⚠️ フルオロキノロンを予防に使わない理由は2つある。 ①ネパール・タイのCampylobacterで70〜80%というが報告されており、渡航先によっては予防として機能しない。②腱・筋・関節・神経系の有害事象に関するの安全性懸念である2。欧州でも2019年3月11日の欧州委員会決定により、キノロン・はの予防には使用しないという制限が課された3。

⭐ 抗菌薬は「効かなくなる」だけでなく「耐性菌を連れて帰る」。 が環境中に多い渡航先で抗菌薬を使うと、帰国時の耐性菌リスクが2倍になったがある。旅行・・抗菌薬使用と獲得のあいだには段階的に強まる関連がある2。の持ち帰りは、本人の次の感染症治療を難しくする。 予防投与を安易に処方しない最大の理由がここにある。

続発症

下痢が治まったあとに腹痛とが残ることがある。渡航前に消化器疾患が無かった旅行者がに罹患したのち、Rome III/IV基準を満たし、微生物学的検索と基礎疾患の評価が陰性であれば感染後と診断する。より重症で長く続いた下痢ほどリスクが高い2。早期の有効な抗菌薬治療がこのリスクを下げるかどうかは、旅行者を対象に検証されていない2。

まとめ

  • 原因の最多はETECをはじめとする大腸菌で、6か国のでは全ての国でE. coliが最多(67〜82%)だった。
  • ETECは付着するだけで侵入せず、LTがを、STaがを介してcGMPを上げてを起こす。血便・を欠く。
  • STaの標的であるは、便秘治療薬がで活性化する受容体と同じものである。
  • 重症度は「予定した活動を妨げるか」で分け、を伴うは全て重症とする。
  • 軽症は経口補水と・で足り、抗菌薬は推奨されない。中等症以上で抗菌薬を検討する。
  • 血便・高熱があればアジスロマイシンを第一選択とし、とフルオロキノロン、単独は外す。
  • 予防ではが選択肢で、抗菌薬予防が要るなら。フルオロキノロンは耐性と安全性懸念から予防に推奨されず、では上も制限された。
  • 渡航先での抗菌薬使用はのリスクを高める。予防投与はリスクの高い旅行者に限る。
  • 遷延例では原虫とを考える。

出典

  1. 1.Etiology and Epidemiology of Travelers' Diarrhea among US Military and Adult Travelers, 2018-2023(Emerging Infectious Diseases (Centers for Disease Control and Prevention)・2024)ジブチ・ジョージア・エジプト・ホンジュラス・ネパール・ペルーの6か国で2018年10月〜2023年4月に急性下痢・急性胃腸炎の症例定義を満たした512例を登録した多施設サーベイランス(Global Travelers' Diarrhea study)で、403例(79%)から計867件の病原体が検出されたこと。Escherichia coliが6か国すべてで最多の病原体で検出割合は67〜82%、ノロウイルスは4〜29%、Campylobacter jejuniは2〜20%であり、Salmonellaはエジプトとジブチ(各6%)を除く全ての国で最も少なかったこと。E. coliの病原型のうち腸管毒素原性大腸菌が6か国中5か国で最も多く同定されたこと。陽性例のうち79.7%が単独感染、19.6%が二重感染、0.7%が三重感染であったこと。ETEC分離株106株で最も多い定着因子はCS3(25%)とCS21(25%)、次いでCS2(18%)・CS6(15%)であったこと。なお旅行開始2週間以内の発症率が地域と季節により30〜70%であること、細菌が旅行者下痢症の80%超を占めることは、いずれも本論文が他文献を引用した記述であること閲覧 2026-09-02
  2. 2.Guidelines for the prevention and treatment of travelers' diarrhea: a graded expert panel report(International Society of Travel Medicine / Journal of Travel Medicine・2017)重症度を、活動に支障のない耐えられる下痢を軽症、苦痛があるか予定した活動を妨げる下痢を中等症、活動が不可能になる下痢を重症とし、肉眼的血便を伴う赤痢型は全て重症に分類すること。2週間以上続くものを持続性とすること。予防について、次サリチル酸ビスマスはあらゆる旅行者で考慮してよく(強い推奨・高い質のエビデンス)、予防効果は60%を超え、1日2.1〜4.2 gを分割投与する用量が検討されていること。抗菌薬による予防が適応となる場合にはリファキシミンを推奨し(強い推奨・中等度の質)、5件の無作為化試験で強い予防効果が示され、1日200〜1100 mgが用いられたこと。フルオロキノロンは旅行者下痢症の予防に推奨しない(強い推奨・低い〜非常に低い質)とし、その理由としてネパール・タイのCampylobacterで70〜80%の耐性が報告されていること、および腱・筋・関節・神経系に関する米国FDAの安全性懸念を挙げていること。抗菌薬の予防投与は健康上の合併症リスクが高い旅行者に限って考慮すべきであり、ルーチンには推奨しないこと。多剤耐性菌が多い渡航先での抗菌薬使用が帰国時の耐性菌腸管保菌リスクを2倍にしたコホート研究があること。治療について、軽症では抗菌薬治療を推奨せず(強い推奨・中等度の質)、ロペラミドまたは次サリチル酸ビスマスを考慮してよいこと(強い推奨・中等度の質)。中等症では抗菌薬を用いてよく(弱い推奨)、アジスロマイシン(強い推奨・高い質)・フルオロキノロン(強い推奨・中等度の質)が使え、リファキシミンは侵襲性病原体に注意したうえで使ってよいこと(弱い推奨)。ロペラミドは中等症〜重症の補助治療(強い推奨・高い質)、中等症では単剤としても使ってよいこと(強い推奨・高い質)。重症では抗菌薬を使うべきで(強い推奨・高い質)、アジスロマイシンが優先され(強い推奨・中等度の質)、フルオロキノロン耐性Campylobacterなど侵襲性病原体による赤痢型の第一選択とされること。フルオロキノロンとリファキシミンは重症でも赤痢型でない場合に限って使ってよいこと(いずれも弱い推奨・中等度の質)。中等症・重症には単回投与レジメンを用いてよいこと(強い推奨・高い質)。市販のプレバイオティクス・プロバイオティクスを予防にも治療にも推奨する根拠が不十分であること(格付けなし)。感染後過敏性腸症候群は、渡航前に消化器疾患の無い旅行者が旅行者下痢症に罹患したあとRome III/IV基準を満たし、微生物学的検索と基礎疾患の評価が陰性のときに診断され、より重症で長い経過ほどリスクが高いこと閲覧 2026-09-02
  3. 3.Quinolone and fluoroquinolone containing medicinal products(European Medicines Agency・2019)EMAは2017年2月9日に審査を開始し2018年10月4日のPRAC勧告・同年11月15日のCHMP意見を経て2019年3月11日の欧州委員会決定により、キノロン・フルオロキノロン系(シプロフロキサシン・レボフロキサシン・モキシフロキサシン・ノルフロキサシン・オフロキサシン等を含む)について、無治療でも軽快しうる感染症や重症でない感染症(咽頭炎など)、非細菌性感染症(慢性前立腺炎等)、旅行者下痢症の予防、再発性下部尿路感染症の予防には使用しないという制限を課したことを確認した閲覧 2026-08-27