生化学

生化学 · 15/1

増殖・分化・生存・血管新生・転移の中心的分子と創薬標的(第I部)

Molecules of central importance and drug targets of proliferation, differentiation, survival, angiogenesis and metastasis (Part I) — L II

応用トピック
分子標的治療の基礎分子標的治療の副作用
疾患
CBL症候群結節性硬化症若年性骨髄単球性白血病神経線維腫症1型神経皮膚症候群

🧠 がんの増殖・は「正常なが、どこかの部品が壊れっぱなしでオンになった状態」として読む。 から始まりRas-MAPK・-AKT-mTORへ分岐する経路、そして(Src・Abl・)の変異・融合・が、増殖・生存・浸潤を支える。分子標的薬は「壊れてオンになった部品」そのもの、またはその下流の部品を止める。確立した分子標的もあれば、Srcのように臨床的な単独標的化がなお検討段階のものもある。1

がん治療の3本柱と薬物療法の分類

がん治療は外科的切除・放射線療法・薬物療法(化学療法)の3本柱からなる。薬物療法はさらに以下に分類される。

分類 機序・例
(と共有結合)、(合成阻害)、、植物由来薬(、、)
ステロイド・その拮抗薬
の中核の一つ。多くはに競合する低分子
モノクローナル抗体 受容体・リガンドを標的
その他(講義で挙げられた例) (FLT3・KITなどを阻害する多標的キナーゼ阻害薬)、(mTORC1の)、()

⭐ 腫瘍のがの必然性を生む。 同じ臓器のがんでも患者・腫瘍ごとにの異常パターンが異なるため、を標的とする治療は患者個別のに基づいて選択される。

Src:がん研究の原点

年 出来事
1911年 Rousがニワトリの肉腫を細胞を含まない濾液で移植できることを示し、のちに腫瘍を起こす初めてのウイルス(Rous肉腫ウイルス)として認められた
1970年 このウイルスの能がsrc遺伝子にあることが判明
1976年 src遺伝子はヒトを含む正常な細胞のゲノムの一部でもあった(正常細胞の原がん遺伝子をウイルスが取り込んでいた)
1980年 Srcがチロシンキナーゼであることが解明された

この流れが、正常な細胞増殖の理解とがん誘発の理解を同時に切り開いた(がん遺伝子研究の原点)。

Srcとドッキングタンパクのモジュール

のシグナル伝達には、を認識するモジュールをもつタンパク質群が関わる。

ドメイン 結合対象
SH2, PTB 部位
SH3 に富む配列
PH 各種(膜への会合を導く)

非受容体型チロシンキナーゼ

を介したシグナル伝達(多様な細胞機能を制御)にSrcが関与し、抵抗性(本来はを失った細胞が起こすアポトーシスへの抵抗性)に寄与する——これはがん細胞のの面。ただし、Src単独阻害の臨床効果は腫瘍型により限定的である。1

⭐ BCR-ABL1は「常時活性化スイッチが入りっぱなしのキナーゼ」の代表例。 ではBCR-ABL1融合タンパクがのチロシンキナーゼを作る。はの予後を大きく改善したが、を下げる点変異などによる耐性には第2・第3世代などを用いる。2 第2世代のなどもに結合するため、T315Iでは効かない。T315Iには、に結合するよう設計を変えたポナチニブか、とは別のミリストイル結合部位に結合するを用いる。

JAK-STATサイトカインシグナル

は細胞質のキナーゼと結合し、でが活性化→STATをリン酸化→STATが二量体となって核内へ移行し転写を制御する(SH2ドメインを介した相互作用が鍵)。のV617F変異は受容体なしでもをオンにし、などのを起こす。/2阻害薬はこの経路を止める。

Ras-MAPK経路

flowchart TD
  A["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='growth factor'>成長因子</span>が<span class='jp-term jp-term-diagram' title='receptor tyrosine kinase (RTK)'>受容体型チロシンキナーゼ</span>に結合"]
  A --> B["受容体の<span class='jp-term jp-term-diagram' title='dimerization'>二量体化</span>・<span class='jp-term jp-term-diagram' title='autophosphorylation'>自己リン酸化</span>"]
  B --> C["アダプタータンパクGrb2(SH2ドメイン)が<span class='jp-term jp-term-diagram' title='phosphotyrosine, pTyr'>リン酸化チロシン</span>に結合"]
  C --> D["SOS(Ras活性化因子、GEF)が膜へ動員される"]
  D --> E["Ras:GDP結合型 → GTP結合型(活性化)"]
  E --> F["Raf活性化"]
  F --> G["MEK(二重特異性キナーゼ)活性化"]
  G --> H["ERK活性化"]
  H --> I["ERKが核内へ移行"]
  I --> J["Fos・Jun(AP-1転写因子)を活性化 → <span class='jp-term jp-term-diagram' title='immediate early gene'>初期応答遺伝子</span>発現"]

RasのGTP/GDPサイクル

Rasは「GTPを結合している間だけオン」のである。オンにする因子とオフにする因子が別々にある。

flowchart TD
  RG["Ras-GDP<br>(<span class='jp-term jp-term-diagram' title='inactive form'>不活性型</span>)"] -->|"SOS(<span class='jp-term jp-term-diagram' title='guanine nucleotide exchange factor (GEF)'>グアニンヌクレオチド交換因子</span>、GEF)<br>GDPを放出させ、細胞内に多いGTPが入る"| RT["Ras-GTP<br>(活性型:Rafを動員)"]
  RT -->|"Ras自身のGTPase活性<br>GTP + H₂O → GDP + Pi<br>NF1(<span class='jp-term jp-term-diagram' title='GTPase-activating protein'>GTPase活性化タンパク</span>、GAP)が大きく加速"| RG

Rasの調節: NF1(の)の産物は、Rasのとして働き、Rasを不活性化する(GTP→GDP)方向に働く負の調節因子である。NF1変異(1型症、von Recklinghausen病)ではこの負の調節が失われRasシグナルが持続的に亢進する。がんで多いRasの点変異(G12・G13・Q61など)も、GAPがあってもGTPを加水分解できなくすることで同じ「オンのまま」を作る。

⭐ はNF1-を標的とする。 NF1変異でRas-MAPK経路がに活性化するためMEK阻害は合理的だが、腫瘍によってはフィードバック再活性化や耐性が生じうる。症候性・手術不能なNF1関連に対し、まず小児で承認され、米国では2025年11月に成人へ適応が拡大された。3 別のも、成人と2歳以上の小児を対象とした第IIb相試験でが成人41%・小児52%であり4、米国では2025年2月に、成人と2歳以上の小児の両方を対象に承認された。

HER2/Neu受容体と抗体医薬

HER2/Neu(EGFRファミリーの)の増幅・は一部の乳がんや胃がんので、・などの標的薬が用いられる。はEGFR標的薬であり、標的薬とは標的と適応を分けて理解する。EGFRの下流でRasが変異していると受容体を止めてもシグナルは流れ続けるため、はRAS野生型の大腸がんに限って用いる。

PI3K-AKT-mTOR経路

は膜のリン脂質の環3位をリン酸化する脂質キナーゼで、がその逆反応を担う。

flowchart TD
  PIP2["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='phosphatidylinositol'>ホスファチジルイノシトール</span>-4,5-<span class='jp-term jp-term-diagram' title='bisphosphate'>ビスリン酸</span><br><span class='jp-term jp-term-diagram' title='phosphatidylinositol 4,5-bisphosphate'>PIP2</span>"] -->|"<span class='jp-term jp-term-diagram' title='phosphoinositide 3-kinase'>PI3K</span>(<span class='jp-term jp-term-diagram' title='phosphatidylinositol'>ホスファチジルイノシトール</span>3-キナーゼ)<br>ATP → ADP<br><span class='jp-term jp-term-diagram' title='receptor tyrosine kinase (RTK)'>受容体型チロシンキナーゼ</span>・Rasで活性化"| PIP3["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='phosphatidylinositol'>ホスファチジルイノシトール</span>-3,4,5-トリスリン酸<br><span class='jp-term jp-term-diagram' title='phosphatidylinositol 3,4,5-trisphosphate'>PIP3</span>"]
  PIP3 -->|"<span class='jp-term jp-term-diagram' title='phosphatase and tensin homolog'>PTEN</span>(脂質ホスファターゼ)<br>3位のリン酸を加水分解して外す"| PIP2
flowchart TD
  A["<span class='jp-term jp-term-diagram' title='phosphatidylinositol 3,4,5-trisphosphate'>PIP3</span>が膜に増える"]
  A --> B["AKT(PKB、セリン/<span class='jp-term jp-term-diagram' title='threonine'>スレオニン</span>キナーゼ)がPHドメインで膜へ集まり、リン酸化されて活性化"]
  B --> C["GSK3をリン酸化して阻害 → <span class='jp-term jp-term-diagram' title='glycogen synthase'>グリコーゲン合成酵素</span>の活性化(インスリン作用)"]
  B --> D["TSC2をリン酸化して阻害 → Rheb-GTPが増える"]
  D --> E["mTORC1活性化"]
  E --> F["タンパク質・<span class='jp-term jp-term-diagram' title='lipid synthesis'>脂質合成</span>促進、オートファジー抑制"]

PTEN:PI3K経路の腫瘍抑制因子

PTENはをしへ戻す脂質ホスファターゼで、-AKT経路への腫瘍抑制的なブレーキとして働く。機能喪失はAKT経路のを介して多くのがんに関与し、-AKT-全体の異常は治療抵抗性にも関与する。5

mTOR:成長・栄養センサーと薬物標的

mTORは複数の複合体を形成するセリン/キナーゼで、mTORC1が・アミノ酸・エネルギー・酸素シグナルを統合し、タンパク質・を活性化してオートファジーを抑制する(栄養素による遺伝子発現の調節のmTORC1アミノ酸も参照)。

調節因子 役割
TSC1/TSC2(複合体) Rhebの。Rhebをオフにしてブレーキをかける。AKTにリン酸化されると働けなくなる
Rheb 小Gタンパクで、GTP結合型がmTORC1を活性化する

TSC1またはTSC2のがで、ブレーキを失ったmTORC1が過形成・を作る。

⭐ ()は「イースター島の」から生まれた多面的な薬。 細胞内でFKBP12と複合体を作り、mTORC1にに結合して働きを抑える(誘導体が)。mTOR阻害は抗腫瘍・免疫抑制・()などに応用される。ただし-AKT-mTOR標的薬の効果は腫瘍型や分子背景で異なり、単剤効果が限定的な場合には患者選択や併用戦略が重要になる。5

受容体シグナルの終結

活性化したは、による、およびを契機とするエンドサイトーシス・リソソーム分解などを通じて不活性化される——シグナルを「切る」仕組みの破綻もまた、がんにおける持続的の一因になりうる。

経路の部品と代表的な分子標的薬

どの部品で止めるかは、その腫瘍でどの部品が壊れているかで決まる。壊れた部品より上流を止めても効かない(大腸がんの)。

部品 がんでの異常の例 代表的な薬
EGFR 肺腺がんの (非小細胞肺がん)、抗体の
乳がん・胃がんの遺伝子増幅 、
BRAF・MEK BRAF V600E変異(悪性黒色腫など)、NF1欠損 、、
BCR-ABL1 融合遺伝子() 、、
V617F変異()
FLT3 FLT3変異()
・AKT PIK3CA変異、欠失 カピバセルチブ(AKT阻害薬)
mTORC1 TSC1/TSC2欠損、経路全体の亢進 、
CDK4/6 –CDK4/6の亢進(陽性乳がん)

各薬の承認された適応の詳細は、それぞれの薬剤ノートで確認する。

まとめ

  • がん治療は外科・放射線・薬物療法(・・キナーゼ阻害薬・)からなり、腫瘍のがを要請する。
  • Src研究(1911年Rous肉腫ウイルス→1970年src遺伝子→1976年正常ゲノムの一部→1980年チロシンキナーゼ)はがん研究の歴史的出発点。BCR-ABL1とはの原型で、T315I耐性にはポナチニブやを用いる。
  • →Grb2-SOS→Ras→Raf-MEK-ERK(MAPK経路)がの主軸。RasはGTP結合型だけがオンで、SOS(GEF)がオンに、NF1(GAP)がオフにする。NF1変異はRas持続活性化を招き、・()がこれに対応する。
  • がをにし、が戻す。AKTはGSK3とTSC2を抑えてとmTORC1を動かす。(腫瘍抑制性ホスファターゼ)とTSC1/2-Rheb(mTOR調節)が鍵となるブレーキ役。
  • /EGFR標的薬、阻害薬、()など、経路の各部品が直接のになっている。壊れた部品そのものか、それより下流で止めるのが基本になる。

出典

  1. 1.SRC kinase-mediated signaling pathways and targeted therapies in breast cancer(Breast Cancer Research・2022)SRCが乳がんの増殖・転移・薬剤耐性に関与し、標的治療が検討されていること閲覧 2026-08-20
  2. 2.Response and Resistance to BCR-ABL1-Targeted Therapies(Cancer Cell・2020)BCR-ABL1がCMLの駆動因子で、イマチニブが予後を改善し、耐性変異には後世代TKIが用いられること閲覧 2026-08-20
  3. 3.FDA approves selumetinib for adults with neurofibromatosis type 1 with symptomatic, inoperable plexiform neurofibromas(U.S. Food and Drug Administration・2025)2025年11月に米国FDAが症候性・手術不能なNF1関連叢状神経線維腫を有する成人へセルメチニブを承認したこと閲覧 2026-08-20
  4. 4.ReNeu: A Pivotal, Phase IIb Trial of Mirdametinib in Adults and Children With Symptomatic Neurofibromatosis Type 1-Associated Plexiform Neurofibroma(Journal of Clinical Oncology・2025)Consensus の抄録で確認。重大な症状を起こすNF1関連叢状神経線維腫の成人58例(18歳以上)と小児56例(2〜17歳)を対象とした非盲検・多施設の第IIb相試験で、MEK阻害薬ミルダメチニブの独立中央判定による確定奏効率が成人41%(24/58)、小児52%(29/56)であったこと、試験開始時点で成人に承認された薬が無かったこと閲覧 2026-09-27
  5. 5.PI3K/AKT/mTOR signaling transduction pathway and targeted therapies in cancer(Molecular Cancer・2023)PI3K-AKT-mTOR経路ががんで高頻度に活性化し、治療抵抗性と標的薬への抵抗性にも関与すること閲覧 2026-08-20